2016年03月11日

3月11日、東日本大震災から5年

ご無沙汰しております。塾長、松尾です。
受験も終わり、卒業していった生徒もいるものの、相変わらず見るべき生徒は多く、てんやわんやです。
が、今日は3月11日、東日本大震災から5年ということで、久々に筆を執りました。

多くの方が亡くなられ、多くの方が今でも苦しんでいます。
亡くなった家族や友人達は帰ってきません。
言葉もありません。

今日に限らず、東日本大震災に限らず、いつどんな事件が起きるか分からないし、歴史を振り返れば毎日何かの事件が起きた日でしょう。そうでなくても、いつだって誰かが亡くなった日だし、誰かが生まれた日です。
日々疎かにしてはいけない、と思います。

改めて亡くなられた方々の冥福を祈り、今を生きる人の苦しみが少しでも和らぐ事を祈ります。
私は、まず生徒達をもっと伸ばさねば……未来を担う大切な人材達です。
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2015年05月03日

ネパールの地震

今日は断層についての、ごく初歩的な知識をまとめた記事を投稿しましたが、ネパールの地震で多くの犠牲者が出た直後です。人の命が失われると言うのは、無念であり、また周囲の人々に堪え難い悲しみと実際的な多くの困難をもたらすものです。
犠牲者に、私なりの哀悼を捧げたく思います。
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2015年02月20日

成績の上がった子を、さらに伸ばすコミュニケーション

練馬から教育で世界を変える!
西武池袋線、石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

今日は「成績の上がった子を、さらに伸ばすコミュニケーション」というタイトルを付けてみました。ちょっと胡散臭いですね(苦笑)まぁ、他に思いつかないので、このまま書きます。

成績が上がった子が、その成績を報告する。テスト結果は当然報告するものなので(それを渋る子もいますが……笑)報告は来ます。が、その報告というのが、実は甚だ複雑なのです。

一部の生徒は、天真爛漫に「先生! 見て見て! 成績上がった!」と持ってきます。「え? 一部の生徒だって? 誰だってそんなものじゃない?」と、不思議に思いませんか? しかし、これが必ずしも「誰だってそんなもの」ではないのです。
実に不思議な事なんですが、別の一部の生徒達は、恐る恐る好結果のテストを差し出すのです。これが不思議です。なぜ良い結果を出しているのに、悪い結果のテストを差し出す時のように、恐る恐る、になるんでしょうか。あまつさえ、落とした問題ばかりを指して「ここ計算ミスしちゃったんです……」「この問題が、授業で扱ったのに復習していなくて……」と、反省の弁を述べ始めたりします。
きっと、この子達は「良い点とった!」と言って「こんなもので満足するな!」と突き返されてしまうのが恐いのかなぁと、想像しています。デリケートな問題なので、ズバリ聞くのが憚られるのですが……良い点をとったら、誰だって嬉しいでしょう。「試験の点なんか興味ない!」というツワモノなら別ですが、彼らはテストを「恐る恐る」出すくらいですからテストの点は気にするタイプです。だったら、良い点を取ったのだから、「見て見て!」とやれば良いのに……それが出来ないとしたら、「褒めてほしい」という思いをストレートに示して、「そんな点で満足するな!」と突き返されてしまう、想いが否定されてしまうのが、恐いのかなぁと、想像しています。

また、当然の事ながら、中学生以上の試験というのは複数教科が同時に行われます。すると、ある教科は成績が上がったけれど、別の教科は下がった、という事も起きてきます。そこで楽天的なタイプの子は「この教科が上がったんですよ〜」と言って、下がった教科は無かったことにしようとさえする(笑)逆に、悲観的な子は「この教科が下がった、全体で見れば伸びていない」と言って、下がった教科は嘆くクセして、上がった教科は喜ばない。どちらも正しくありません。

また、同じ失点でも様々な原因があります。中学レベルの文法のミスと、高校レベルの文法のミスと、熟語の覚え違いと、単語の綴りミスとでは、同じ問題にバツがついたとしても、評価も違えば復習すべき内容も変わります。それを、大雑把な子は十把一絡げにして「この分野はキライ!」と言ったりする。成績が上がった場合でいうと、前回は文の構造が複雑な関係詞の章で点が低かったけれど、今回は比較的処理が単純な分詞構文の範囲だったから出来たとします。「成績が上がった!」と喜ばれると、それは困ります。油断せず、前回の範囲の復習はしてもらわないといけないし、そもそも複雑な構造を整理するトレーニングをしなければなりません。

というわけで定期試験そのものは、慎重によく見なければ、喜ぶべきかどうか分からない事が多いのです。特に生徒本人の「上がった・下がった」はアテになりません。
さて、それではどうするか。試験自体をよく見るのも良いのですが、それ以前に、実は褒めるか叱るかなんて、試験結果を見る前から決まっているのです。一生懸命やっていたら、結果が悪くても「よく頑張っていたから、その調子だ」と褒めるし、ちょっとダラけているなと思ったら、結果が良くても「ところで、もっと出来るよね?」とプレッシャーをかけます。大事なのは、今という時間を一生懸命に使っているかどうかです。

成績の上がった子がいたとしましょう。さらに伸ばすためには、そもそも試験前からその子の事をよく見ていて、表面的な彼・彼女の言葉に惑わされず、その子の在り方全体を見てコミュニケーションを投げかける事です。個々のテストの点などよりも、もっと本質的な価値観を私達が持つことも大切です。
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2014年06月22日

インターネット時代になって変わった事

実は最近、ブログを他のサービスに移管する事を検討して他のブログを少しいじっていました。そこで感じたのですが、ブログサービスによって、意外と編集画面の勝手が違うのです。ユーザ数の多い某大手A社のブログサービスはやたら広告が表示されて嫌だなと思う反面、文字の色を変えるためのパレットがデフォルトで表示されていて、ご覧の通り、思わず色文字に手を出してしまいました(苦笑)
とはいえ、実は今まで使ってこなかった(ついでに言えば、そうした機能があまり目立たない編集画面レイアウトだった)だけで、このブログサービスでも文字の色変更は可能です。色だけでなく文字サイズを大きくしたり小さくしたり、太文字にしたり下線をつけたり訂正を入れたりといった変更は、実はとても簡単に出来ます。編集画面では、こうした変更がHTML(ホームページを作る際に用いるプログラム言語……みたいなものです)の書式で表現されるので、ああちょっと失敗したぞと思っても、HTMLを理解していれば、ちょいちょいと手書きで直せます。


1990年代にインターネットが普及し、様々な事が変わったわけですが、あまり指摘されていないように思うのが、この文字の色の変更です。インターネットが普及する以前、文字情報の発信は、主に紙媒体で行われており、カラー印刷は費用がかかりますから、紙媒体の情報発信では自然と文字は黒一色になるのに対し、インターネット上でホームページやブログを用いた情報発信を行うようになると、文字の色を変更するのに金銭的なコストはほとんどかかりません。いちいち文字の色を変えるのは多少の手間がかかりますが、その手間も、A社の記事編集画面のように、ボタンひとつで色を変える仕組みが組み込まれる事で、誰でも簡単にいろいろな色で文字を綴れるようになる。インターネットでの情報発信は文字の色が変えやすいのです。

そんな事は大した事じゃないだろうと思う方もいらっしゃるかも知れません。そんなものは、小学生の女の子がペンケースにやたらいろんな色のペンを入れているのと同じだ、文字の色を変えるなんて要らない機能だ、と。しかし、既にこのブログ記事をご覧いただければ、お分かりになるでしょう。文字の色を変えられると文章の要点が示しやすいのです。ただ文章の要点を示すだけでなく、例えばこの文章では文字の色を変えるなんて意味が無いと考える立場と、文字の色を変えられる事には重要な意味があると考える、筆者(=私)の立場を、色によって分ける事も出来る。筆者の主張、問題提起、反論の想定、といった文の要素を色で示せば、色によって文の構造を明瞭に示す事が出来るのです。文の書き手と読み手の双方に文章能力があれば、これらは不要なのですが、文章能力というのは、実は高度な技能であり、誰もが持っているものではありません。そこで、文字に色を付ける。すると、不完全な文しか書けなくても、ある程度は意図を伝えられるようになるし、読解が苦手でも色のついた部分だけ飛ばし読みして、辛うじて発信者の意図を掴めるようになるかもしれない。私の考えでは、色文字を使う事で、より多くの人が容易に文章を扱えるようになるのです。

それだけではありません。恐らく、色文字を使う事は文章の書き方さえ変える可能性があるのです。いま正に私がそうなのですが、文章中の所々を赤で強調しながら文を書いていると、自然と「どこを赤で強調しようか」と考えるようになり、意図的に文章中にまとめの一文を挿入するようになるのです。それも、出来れば赤い部分だけ読んでも意味が分かるように、赤で強調した部分は主語述語を完備した独立して読める文になるように気を使うようになると、私はいま文章を書いていて、自然な感覚として感じています。

実は私も文字に色を付けるなんて邪道だと思っていた人間なのですが、文字に色を付けるの、ちょっと癖になりそうです(笑)
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2013年01月20日

センター試験です

昨日と今日と、センター試験が行われています。私も予備校が公開した一日目の問題を少しだけ見ました。
国語は、少し荒れたのではないでしょうか……現代文の1問目が、例年は評論ですが、今年は小林秀雄が骨董を論じた随筆。設問自体の難易はともかく、文が長いです(苦笑)緊張でビリビリしている真面目な高校生は、この長さを読まされるのは、かなり苛立つでしょう……

加えて、漢文は特別難しいわけではないですが、小林秀雄の随筆とともに、高校生の感覚とは縁遠い感覚が主題なので……ピンと来ない子にはピンと来ないでしょう。

教え子達がうまくクリアしてくれていると良いのですが。
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2013年01月16日

雪でした

関東には珍しい雪でした。いや、日中にあんなに降るなんて。
藪椿に新雪が降りかかっている風景を見かけることができました。あの風景は、盛りを過ぎた桜の花吹雪に比肩する美しさだと思います。指導があるので、雪見酒…というわけにはいきませんでしたが、目の前のドトールでブレンドを仕入れて、生徒が来ない時間帯には雪の見える部屋で仕事をしておりました。
小学生の男の子たちは、随分雪を楽しんだようです。中学生の女の子は、雪なんか降るな!と言っていたので「雪が楽しめないなんて、年だね」とツッコミをいれてあげました。どっちも割と楽しそうでした(笑)
冗談にも雪が楽しめなくなると本当に年で、さらに年をとって昼間っから雪見酒に耽ることができるご身分になったら仙人、といったところですかね。はやく仙境に至りたいものです(笑)
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2012年12月29日

冬期講習

塾長の松尾です。いや、長期休暇は辛い。体力の限界に挑戦。死ぬ覚悟です。
しかし、昨年や一昨年あたりに体力の衰えを感じていろいろ対策をとったら、今年は比較的、疲労に耐えられています。来年はもっと良くしていきたいものです。
体力的にはキツいですが、頻繁に生徒と接触できるのは、いろいろな意味で嬉しいものです。単純に可愛い教え子が来てくれる嬉しさもありますし、学力状況の把握が密になるので、より適切な指導が可能になります。それで自分の仕事に自信を持てる。そういう、なんというか、合理的な職務上の利便に繋がる嬉しさもあります。

いやーしかし、肩が凝りました。かなり酷い肩凝りを溜め込んでしまいました。ついに頭痛が出始めて、頭痛薬を飲みながらの、年末です……
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2012年10月05日

漱石は我々と同じ近代人??

練馬から教育で世界を変える!
石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

先だって、記事の中に「夏目漱石は近代を代表する知性」などと書きましたが、実は私は漱石をそんなに読んでいません。新潮文庫で何冊か読みましたが…10冊はいっていなかった気がします。知人から「倫敦塔と虞美人草がいい」と聞かされたものの、近頃は読書自体を殆どしない体たらく…
※実はこの記事を書いたあと、青空文庫で『倫敦塔』は読みました! google画像検索で言及されている絵画作品も見比べながら読んだら、非常に面白かったです!!

さて、それはさておき、皆さんにとっては夏目漱石といえば、どの作品でしょうか。東大生的には、本郷キャンパスの真ん中にある心字池が通称「三四郎池」なので、三四郎が耳慣れた作品名でしょうが、私はそのキャンパスを去って久しいので…教育関係者としては、何といっても『こころ』ですね。

漱石の作品に『こころ』という長編があり、多くの高校が現代文の授業で扱うので、教育業界に身をおくと馴染みのタイトルになります。原文は非常に長いので、教科書はもちろん抄録ですが、それでも長く、そして、暗い。友人が自殺してしまったことを心に抱え続け、ついには自分も自殺しようとする人物の話ですから…その友人の自殺シーンの凄烈な筆致は、きっと多くの高校生にとって長い国語教育の中で、最も鮮明な記憶の一つとなるでしょう。

現代文が高校生たちに対峙する事を要求するテーマとは、このようなものです。自己と他者の内面の断裂、自己の振る舞いに対する罪障意識、死ぬまで誰にも明かせない内面、それを絶望の果ての告白という形で吐露するスタイル、語るより文字に残す方が真実を表現できるという真偽観念、そのすべての矛盾の解消を死という究極点に求める生死観…漱石自身は「明治の精神に殉死する」と書きましたが、こうして書き出してみると、これぞまさしく近代精神が(従って、我々が近代人だとすれば、我々もまた)向き合わざるを得なかった、漱石が『こころ』で、また太宰治が『人間失格』で表現し、芥川龍之介が自ら実践せざるを得なかった、時代精神の裏面なのだと思います。
共感するにせよ、反発するにせよ、まずは近代がそのような時代であったことを理解することが期待されているのでしょう。

もっとも、思うに我々は現代人なのであって、漱石の描いた人間像は古臭い、という面もあるのでしょう。現代的な感覚としては、自己の「内面」なるものは断片的な意識の流れにすぎず、自己の振る舞いに対する罪障意識も途切れ途切れに流れ去るものであり、それも人には言えないなどと思いつつチラホラ暴露してしまうもので、従って絶望の果てと言うほど煮詰まる事もなく、そんなものを語ろうが文字に残そうが真実を表現できた事にはならない、従って幸いというべきか、死で解決せねばならないほどの矛盾を時代精神の故に抱えるという事もないのでしょう。先日読んだ国語の課題文が、人間をパラノ型(パラノイア…偏執狂型:一つの事をとことん追求するタイプ)とスキゾ型(スキゾフレニア…分裂症型:その時の思いつきのままにフラフラしてまとまりの無いタイプ)に分けて論じていましたが、正に時代はパラノ型の近代精神からスキゾ型の現代意識に移行し、我々は国の発展とか社会善とかを忘れ、感覚的に楽しいことに現を抜かして、それで良いと思う時代に生きているように見えます。テレビにつられて話題が日々移り変わり、次いでもっと短いYouTubeの動画を好きな時に見るスタイルが広まり、感覚はどんどん時間を短いスパンに切り刻んで行く。

長い先の人生を考えて刻苦勉励を説くなどというスタイルが、完全に時代遅れになってしまう時代がいずれ来はしないかと、ちょっとヒヤヒヤします。
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2012年10月01日

天気もネットで調べる時代

練馬から教育で世界を変える!
石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

昨夜は台風でした。皆様、ご無事に過ごされましたでしょうか。

こういう気象条件の荒れた時には、私はインターネットの天気予報サイトやiPhoneアプリを利用してその後の天候変化についての情報を収集するのですが、実に便利な時代になったものです。昔は天気の事などテレビニュースで朝のうちに予習しておくしかなかったものですが、今は一時間ごとに台風の位置や中心気圧が更新され、日本中の人が天気について発言したコメントを検索して読むことができるし、現在地の天気の今後の動向を10分刻みで予測してくれるサービスまであるのです。

台風の勢力が予想より早く弱まっている事や、それでも局所的には風雨が急激に強くなることがあるらしいこと、現在は静岡あたりで強風の報告が多いなとか、予報では豪雨ということだったが実際は雨は意外と報告されていないようだとか、さて外に出るならどのタイミングが良いか、この後も雨の予報はないから、そう焦らなくても良いか…などなど、実に細かに状況がわかり、けっこう予想が当たります。自分一人の動きなら(生徒のこととなると、話は変わりますが……)こうした情報を頼りに、ちょっと無理のある動きもしようと思えば出来てしまいます。

情報化社会という言葉自体は、もうまったく新しいものではなくなってしまいましたが、この調子だと、まだまだ情報の在り方は変化し、我々の生活に直結する形で新たな動きが次々と登場するでしょう。それが楽しみでもあり、ついて行くのが大変だなという面もあり…ですね。
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2012年06月14日

自分の趣味を他人に勧める

練馬から教育で世界を変える!
石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

最近、自分が考えていたよりも「勉強するという文化を身につける」という標語にご賛同くださる方が多いのに、身の引き締まる思いをしております。
実際のところは、自分の好きなものを他人に勧めるというのは難しいものです。が、とかく色々、もがいてみるしかないですね。

人生、答えの無い事ばかりですから、「早いうちにサッサと答えを見つけて、その上でふんぞりかえっていよう」というのが、そもそも姿勢として間違っているのだと思います。我々は常に無い答えを探して惑わねばならぬ。それが私の、問題意識を持って人と関わりつつ生きるという事に対する理解です。

難題山積。仕事します。
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2012年02月27日

年度末

練馬から教育で世界を変える!
西武池袋線・石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

またかなり更新の間を空けてしまいました……ようやく今年の受験生たちの指導に、大凡の決着が着きつつあります。あとは、二三の生徒について、結果待ちです。
併せまして、新規入塾のご相談を進めています。この件につきましては改めてこのブログにもアナウンスを載せる予定でおりますが、以前からお待ちいただいておりましたご家庭に入塾のご案内をさせていただいた現時点で、既に受け入れ余地はほぼ一杯の状況です。以前入塾のご相談をさせていただきました方で、ご連絡がつかない方もいらっしゃるのですが、もし本記事をご覧になりまして、入塾を希望される方は、お早めにご連絡ください。
また、これから新規にお問い合わせをくださる方には、申し訳ございませんが、お問い合わせをいただきましても、お待ちいただく事になる可能性がございます。勉強をしたいという子供達の希望に答えられない事は我々としましても残念ですが、それで指導の質が大きく低下しては本末転倒です。より指導の質を高めるための勉強の時間も必要です。どうか、ご理解ください。

今年の受験は(全員が第一希望に合格したわけではありませんが…)比較的良い結果でした。中学受験組は全員第一志望校に合格出来ましたし、都立中高一貫の受検者が全員合格したのは快挙でした。(人数が少ないので「合格率100%!」などと言ってはおこがましいですが…)大学受験も、夏がすぎてから駆け込んできた生徒たちをそれぞれに希望する学校に、AO入試やら化学速習やらと、何とかねじ込んで、ホッとしています。第一志望に合格できなかった子には、可哀想をしましたが…反省すべきを反省して、次の年度に備えます。

今年度、個人的に嬉しかったのは、深く教室運営に関わってくれる信頼できる教師を得られたことでした。おかげで教室の雰囲気作りが私一人の責任ではなくなり、彼に優しさを任せて、私は厳しい方担当になったりという役割分業が出来るようになりました。
おかげで、私は生徒たちに、少し煙たがられる先生になってきたようです(笑)

私自身にも少し成長があると思うと、嬉しくなります。子供達の成長を眺めるばかりで、もう自分には成長の余地が少ないと思うと、寂しいですからね。
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2012年01月25日

自省がなけりゃいけません

練馬から教育で世界を変える!
西武池袋線は石神井公園駅前の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

長らくブログの更新をサボってしまいました…簡単な事でいいから書けばいいんですが、書き出すと長くなるもので…(苦笑)
何か上手い事を言わなきゃいけない、というような気負いもあるのでしょう。生徒たちには「負担に考えなくてよいのだから、とにかく行動しろ」なんて言う事があるのに、これでは説得力がないですね。

我々は誰しも子供達に「感心な子」であることを求めがちですが、実は我々大人の側に、「感心な大人」など滅多にいないものです。ダメな癖をズルズル引きずって、子供達とのコミュニケーションも必ずしも上手くいかず、最悪、コミュニケーションが上手くいっていない事に気付きもせず、自分を反省せず、物事が思った通りでない原因を相手に押し付けて…それが年齢を問わず、人間の常の姿でしょう。

私もよく自分の行動を反省して、少しでも相手との共同作業が上手く行くように、しっかりせにゃなりません。
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2011年10月30日

なんとなく、問題だらけの時は……

「石神井から教育で世界を変える」
練馬区の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

今日は「なんとなく、問題だらけの時は……」というタイトルです。自分の身の回りが、なんとなーく問題だらけだ、と感じておいでの方、いらっしゃいませんか。実は、私がよく、この状態になります(笑)

だからこそ、対処法も何となく掴んでいます。今日は、その対処法を書いてみようと思います。勉強も学校生活もどうしたら良いか分からない高校生諸君、子供のこともその他のことも、問題山積と感じる親御さん、ご参考になれば幸いです。

なんとなーく問題だらけだと感じたら、まず荒れましょう(笑)発散は必要です。従って、荒れさせてくれる、愚痴を聞いてくれる相手がいることは、大切なことです。友達は大切にしましょう(笑)
それから、冷静になって、どうするか。私は「何が一番根本的な問題なのかを確認すること」をお勧めします。

日常には、思うに任せないことが無数にあります。何か大きな問題を抱え込んで、物の見方が悲観的になると、そうした細々した無数の思うに任せないことが、すべて人生の悲劇(!)を象徴するように見えてきます。そこで、そうした細々したことは、一番の問題とは分けて考えましょう。難なら、そうした細々したことから片付けるのもお勧めです。(私はこれこそが苦手なのですが……でも、時々一念発起して細かな問題を次々と片付けると、やはり気分がスッキリして、主要な問題とも正面から向き合えるようになります)
また、一番問題になっている事の中にも、そこまで重要でない部分もあるかも知れません。たとえば息子が態度が悪くて勉強もしない、そういえば買ったばかりのテレビのリモコンも初期不良みたいだけど、まだメーカーに問い合わせていないし……という場合、テレビは明らかに「細々した問題」ですが、子供の状態についても「態度が悪い」「勉強をしない」という二つの問題が混ざっています。高校生くらいなら、勉強ができないから態度も悪くなっているだけで、成績が良くなれば態度も落ち着くかも知れません。小学生の、特に3年以下なら、勉強くらい後から追いつけるので、まずは態度と話し方・聞き方を叩き込んだ方が良いでしょう。どちらの方が、より根本的で急を要する問題なのか、考えます。
また、何が一番の問題なのかを考える上で、「自分に出来る事は何か」を考える事も大切です。自分にはどうにもできない問題というのも多くありますが、考えても仕方が無いことは考えないと決める事で、問題を絞り込む事が出来ます。たとえば、多くの高校生が、学校の先生が教え方が下手だとか、変な宿題を出されたとかいう事を嘆きます。愚痴を言って発散するのも大事ですが、それだけだと状況は永久に良くなりません。自分にはどうすることもできない問題は、考えても仕方が無いので、実は「問題」ですらないのです。「問題」の名に値するのは、何らかの解決策が考案できる事だけです。

また、問題の所在を自分の中にも探してみる、というのも大切な姿勢だと思います。問題解決には、何かしらアクションを起こす必要がありますが、他人に対してアクションを起こして、相手が変わるかどうかとなると、なかなか難しい。他人は思い通りにはなりません。しかし、自分なら、比較的自由が効きます。
教育の場合、最終的には教わる側が変わらなければ何の意味も無いのですが、少なくとも行き詰まりの状況を前にして、まず自分(指導者側)が態度なり何なりを変えて、それで教わる側に変化が波及するのをじっくり待つ、というのもひとつの考え方です。というより、自分が変わる事無しに相手を変える事など出来ないというのが私の考えです。

私も新規生徒の受け入れ余地を拡大できず、お待たせしてしまっている状況を打開せねばならないのですが、改めて自分に出来る事はないか、考えているところです。
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2011年10月08日

スティーブ・ジョブズ追悼

教育で、練馬から世界を変える。
西武池袋線・石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

今日は、勉強とは直結しない話を書かせていただきます。今週、スティーブ・ジョブズが亡くなりました。ご存じない方には、iPhoneやiPodで有名な、アップル社のカリスマ創業社長……と、とりあえず紹介させていただきましょう。高校の英語教科書に、彼の言葉が教材として掲載されているので、それでご存知の方も多いかも知れません。彼に、私なりの追悼文を捧げようと思います。

私がジョブズの名前を認識したのは中学生の頃だったと思いますが、当時彼はアップル社を、創業者でありながら、自身の連れてきた重役によって追放され、自らベンチャー企業を立ち上げて活動している時期でした。私は工業デザイナーの父が購入したアップル社のパソコンでコンピューターグラフィックをかじっており、たまたま中学時代に一番親しく付き合った友人が同じアップルユーザーだったこともあり、アップルのパソコンに親しんでいました。しかし、アップルという企業自体は、ジョブズ追放以降も内紛が絶えず、Windowsを販売するマイクロソフト社に負けてパソコン市場ですっかりマイナーな存在になっており、製品開発の方向性は定まらず、アップルのパソコンは多くの魅力を持ちながらも動作が不安定で、我々ユーザーは頻繁に発生するフリーズと、マイノリティーの悲哀に泣かされていました。当時の経営陣は、如何に高くアップル社を他社に売却するかという事ばかりを考えていたとも言われます。そんな当時のアップルユーザーにとって、追放されたかつての創業社長、スティーブ・ジョブズの名は、アップル社が成功していた創業期を思い出させる、魅力的なものでした。

スティーブ・ジョブズは、やがて行き詰まったアップル社に請われてアップルに舞い戻り、反対派を一掃して最高経営責任者に返り咲きました。我々ユーザーは、彼がアップルを変えてくれるという期待に胸を高鳴らせました。そして、彼は確かに我々の期待に応えました。

ジョブズが「MacOS8」を発表した時の驚きは今でも良く覚えています。それまでパソコンの背景と言えば、グレーかブルー1色でべったりと塗られているものでしたが、「MacOS8」なら、画面の背景に好きな写真を表示する事ができました。それは些細なことでしたが、まだ子供だった私にとっては、自分の道具を自分好みに飾れる事は、なんとも誇らしいことだと感じられました。そして、私に幾度となく徹夜の作業を強いた、あの動作の不安定性が改善され、同時にいくつもの作業が円滑にできるようになり、パソコンは驚くほど快適な物になりました。

そして、パソコン界の風景を激変させた「iMac」が登場しました。その頃、パソコンといえば味気ないプラスチックのベージュか黒、形は箱形、と決まっていました。それは仕事のために、真面目に、使うものでした。そんな中、iMacは柔らかい曲線でデザインされ、半透明のポリカーボネートの機体はパソコンとは思えないほど軽やかで、鮮烈な白と印象的な青緑色の爽やかなツートーンカラーを身にまとい、キーボードやマウスに至るまでが同じデザインで統一されていました。驚くほど、おしゃれでした。パソコン関連機器を半透明や鮮やかな色でデザインする事は、そして商品名の先頭に「i」をつける命名法は、すべてここから始まったのです。iMacが話題になるごとに、そしてiMacのデザインコンセプトを真似た製品を見るたびに、まだ子供だった私は我が事のように嬉しく感じました。「自分がずっと使っているアップルのパソコンはこんなに素晴らしいんだぞ! 自分の使ってきたパソコンメーカーはこんなに優れているんだぞ!」と、口に出さなくとも心の中で叫んでいました。マイノリティーの悲哀は、既に過去の物になりつつありました。その後もiMacは革新を続け、大幅なデザイン変更で繰り返し市場を驚かせました。私の在学中に、東京大学の学生用パソコンは、Apple製品メインに変わりました。時代はアップルのものでした。

私は高校の美術部員として、主にコンピューターグラフィックを使用し、ポスターの制作などに興味を持っていましたが、アップル社の広告は私にとってひとつのお手本でした。まっ白な画面に、iMacをひとつだけ配置したレイアウト。「Think Different.」という短く、印象的なフレーズ。アインシュタインやピカソ、モハメド=アリの顔写真を用いたキャンペーン。私にとって広告とは、「Think Different.」のフレーズのように潔く、そしてアインシュタインの眼差しのように深くなければ本物ではありません。そして広告に掲載するオブジェクトは、歴代のiMacのように、画面を覆う「白」の凄まじい重圧に拮抗できるほどの、物体としての存在感を持っているべきなのです。作成してみると分かりますが、まっ白な紙にひとつだけオブジェクトを描いて、それで紙を紙でなくする、メッセージを伝える「場」へと変貌させるには、オブジェクトは凄まじいエネルギーを内包していなければならないのです。オブジェクトが弱すぎると、白地の多いポスターは、描きかけの「紙」になってしまいます。ジョブズが関与して生み出された製品、そして広告は、エネルギーに溢れていました。

やがてアップルはiPodを発表しました。私の知る携帯用音楽機器は、はじめカセットウォークマンであり、やがてMDが登場し、そしてmpeg3ウォークマンになり、そして瞬く間に、iPodになりました。ソニーが発明し命名した「ウォークマン」は、実機としても名詞としても、もはや過去の物になりました。今や子供たちにはウォークマンと言うより、「iPodみたいの、持ってる?」と聞く方が早くなりました。iPodの発表で、アップルはマイナーなコンピューターメーカーから、誰もが知っている、誰もがその最新機器をほしがる企業となったのです。

そして、登場したのがiPhoneでした。
誰がこんなにすぐに、誰がこんなに軽やかに、たった一本の指先で、これほど多くの機能を、柔軟に、直感的に、操作できるデバイスが登場すると思っていたでしょうか。誰がたった数年のうちに、誰もの指の上で情報が踊るようになると思ったでしょう。iPhoneは完全に予想外のプロダクトでした。私が迂闊だったのかも知れませんが、このようなものが実現するのは、もう数十年は先のことだと思っていました。いや、自分の時代の物とは予期していなかったと言う点では、無意識裡に50年も、100年も先のものと思っていたかも知れません。ジョブズのアップルは、私の手の中に、文字通り未来を、もたらしてくれました。
いえ、思えばMacOS8の発表以来、私が未来を感じたものは、全てジョブズが関わっていたようにさえ思われます。今になって思えば、ジョブズは私が少年時代に唯一動静を気にした有名人であり、そして少年時代の私に手本を示した師であり、そして彼は未来でした。

現実のアップル製品には、不満の種も多くあります。アップルの製品にはハードディスククラッシュにiPhoneの画面割れと、致命的な故障で悩まされてきましたし、電源ケーブルが簡単に断線するくせに、電源周りを特許で固めてサードパーティー製を排除する姿勢は大嫌いです。それにiPodで耳を塞いで、ジョギングをする時にまで音楽を聞く気はありませんし、パソコンが壊れると買った音楽ソフトまで失う今の音楽配信システムは、基本的に信用できないと感じています。iPhoneがメールの着信を報せてから、実際にそのメールを画面に表示するまで1分もかかる場合があるのは、携帯電話として馬鹿げていると思います。

しかし、アップルが変えたものはあまりに多かった。アップルは私たちが身近に所有するグッズを激変させ、音楽配信市場を激変させ、通信市場を塗り替えました。またパソコン市場の草創期の主要な立役者であり、マウスでアイコンをつつくという現在のパソコン操作の基本を普及させ、デザインの常識を創り出し、そして自らの手で繰り返し創り変えました。スティーブ・ジョブズは、その多くに深く関わった人物でした。善くも悪くも多くの事に口を出す経営者であり、その故に社内に権力闘争も生み出しましたが、最終的にカリスマ的な経営者として、多くの人の尊敬と熱い眼差しを集めるようになりました。私は知りませんでしたが、音楽配信事業の成功により、アップルは今年8月に、時価総額で世界最大の企業になったそうです。ジョブズの死に際して、オバマ大統領は彼を「米国の最も偉大な革新者の1人」と呼んだそうです。本当に、その名に値する人物だといえるでしょう。

近年の華やかになりすぎたアップルには興味が薄れていましたし、ジョブズの振舞いに独善的なものを感じるようになって、アップルファンはしばらく前に止めていましたが、改めて、ジョブズは偉大だったと感じました。彼は、世界を変えました。さて、私は世界を変えられるでしょうか(笑)

思う事が多くあり、つい長々と書きました。仕事に戻ります(笑)
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2011年09月24日

「変化」について

「教育で練馬から世界を変える」石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。
ずいぶん長く、読み物としての記事を書いていませんでした。久々に、雑感でも書こうかと思います。

塾というのは、本質的に、現状を変えるための組織です。現状を維持するために、わざわざ今まで通っていなかった塾にお金をかけて通い始める子はいません。多かれ少なかれ、何かしら、今のままの教育体制・学習習慣では問題があり、現状を変えるべく塾に通い始めるはずです。従って、塾は「現状を変える」事を是とする価値観をもっているし、持っているべきです。

さて、そこでですが、何かを変えるために大切なことは何でしょうか。私は、「自分が変わる」ことが切り札であると考えています。

私たちは、自分自身が生きてきた長年の積み重ねに取り囲まれて、その束縛を受けて生きています。(小学生の子供でさえ、10年前後の積み重ねの中を生きているのです!)ですから、私たちが今までと同じ行動を取りつづければ、その結果としての現状が拘束力となり、私たちの望む変化を妨げます。まず「今を繰り返すこと」「望ましくない現状を、現状と同じ行動によって、再生産しつづけること」を止めないと、変化は起きづらい。
まあ、自分自身がまったく変わらなくても、周囲の環境が変わる事で外部から刺激が入り、変化が始まることもありますが……それでは、変化するかどうかは運任せ、という事になります。人間やその環境は現状を維持する力が強いので、そう簡単に外部からの刺激でころころ変わる事はありません。
そして、あまり長い間変化しないものは、基本的には、やがて淀んでいくと私は考えています。

しかし……世の中に、自分の変化を望んでいる人がどれだけいるでしょうか。生徒たちを眺めていても、成績は上げたいと言いつつ、本質的には自分の殻を破りたいとは思っていない、むしろ現状の殻の中の居心地を保ちたいと思っている者が多いように感じます。大人も同様で、大人こそはもはや新しいことを学ぶ機会も減り、既に得たものを維持することにばかり気を配るようになりがちではないでしょうか。
しかし、子供たちは見る間に大きく成長し、それに伴い子供本人が望むと望まざるとに関わらず、変化せねばなりません。その子供たちと密接に関わる我々大人も、たとえ自分の身には、既に変化が乏しくとも、周囲の変化に巻き込まれ、自分も立ち位置を変えていかねばならないはずです。

変化は起きるのだから、それに備えて私たちは自ら、変化していくべきだと私は考えます。それに、これは趣味の問題ではありますが、自分が変わるというのは、エキサイティングな事だと思います。
以前よく「こんなに面白い勉強というものを子供だけに任せておくのは勿体ない、大人も勉強すべきだ」などと言っていた時期があります。その信念は基本的に今も変わりませんし、ついでに言えば、勉強による変化などというのはちっぽけな変化なんですよね。人間性を揺さぶられるような、良い変化を幾波も越えていきたい、というのが、まぁちょっとエエカッコしすぎな感もありますが、正直な私の願望です。人間、変わらないところは変わらないですが、何も変わらないのは嫌ですね。


--追記
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2011年07月27日

問題を抱えることの大切さ

「教育を深く考える」
石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

いつもは「練馬から教育で日本を変える!」と目標を叫んでいますが、今日は少し調子を変えまして。

突然ですが、「解決すべき問題を抱える」というのは、大切な事だと思います。
「突然何の話だ?」という感じですね。
人間は解決すべき問題があるから、解決するための力を必要とし、解決するための力を得たいから、努力するのではありますまいか。
まあ、何も解決すべき問題がなくても、純粋に努力や向上が好きだという人もいますが……それは趣味の問題で、そういう趣味の人は、趣味のままに生きれば良いでしょう。問題はそういう趣味がない人が、しかし努力や向上心を要求された場合です。問題を抱えていない人は、努力する必然性がないのに、他人から強いられて上辺だけの努力をする事になります。

少なくとも日本の多くの中高生は、親御さんと学校に保護されて社会的な責任を負わないで済むので、ぜひ解決しないといけない、人生に立ちはだかるような、そういう問題に直面する事が少ないのではないかと思います。それで努力だけ求められるのは理不尽、という面もあると思います。私は、社会人になってからの方が、自分の内側から沸き上がる「努力しなければいけない」と言うプレッシャーは、断然、強くなりました。
我々の社会はもっと中高生に、真剣になれる「問題」を提示できるようになるべきだし、中高生はもっと問題を抱えると良いと思います。皆さんは、そうは思われませんか?
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2011年07月10日

能力があるだけじゃ、まだまだ

「練馬から教育で日本を変える!」
個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

だいぶ前にこのブログでも宣言しましたが、私は今、英語のリスニングを毎日の日課にしています。
聞いているのは、以前ご紹介しました大杉正明先生のPod Cast番組と、NHKの英語ニュースです。おかげさまで語彙もリスニング能力も、ちょこちょこ上がっている気がします。

…が、しかし。能力が上がっても、それで何かを現実に成し遂げないと、意味がありませんね。
何かを作り上げ、育て上げてこそ社会人というもんでしょう。勉強してテストの点が上がっていれば褒められるのは子供だけでありまして。

能力の向上が実感できる現状に至って、これだけじゃ何の役にもたたないんだな〜という事も、実感した次第です。がんばれ自分。
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2011年07月05日

自主性を涵養する

「練馬から教育で日本を変える!」
個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

しばらく更新が滞ってしまいました。文章を書いていなかった訳では無く、むしろ年中何かの原稿は書いているのですが、いくつかの原稿を並行して書くもので、ふと気づくと未完成のブログ記事ばかり何本も抱えていたりします…(^^;

この間、スタッフや教師の研修体制を強化するために、研修資料などを用意していました。
その最中に思っていたのですが…自主性を涵養するとは、実に難しい事ですね。教育は生徒の自主性を学習へと向けられれば、かなりの確率で目標を達することができるでしょう。

しかし、「自主性に欠ける生徒に自主性を与える」とは、なんという皮肉な矛盾でしょうか。他でもない自主性を、口をあけて他人に注ぎ込んでもらうのを待っているなんて、そんな事が可能なのでしょうか?そんな自主性の欠片もない態度で、自主性を理解する事など出来るのでしょうか?

実際のところは、生徒の自主性は何時の間にか開花していきます。恐らく、教師との間で何かが共鳴し、恐らくは生徒は教師のカリスマを信じていると思いつつ、いつの間にか自分が成功出来る事を、つまりは自分の能力を、信じるようになっています。そこに自主性の萌芽がある。恐らくは、そういう事です。

問題は、この自主性涵養の過程が教師と生徒の一過性の関係に強く依存し、おいそれと何時でも全ての生徒に適用できるものではない事です。知識のように注入出来るものなら、いくらでもパッケージして用意しますが、残念ながら、そういうものではない。

これは何時も思っている事ですが、教育は人と人の向かい合う場で為されるものであり、単に少々知識が多いとか人生経験が多いとか、それだけで出来るものではないのですね。
私など何時までたっても肝の座らない人間だもので、いつも生徒に心根を見透かされている気がして気が休まりません(苦笑)
タグ:教育 自主性
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2011年06月17日

リーマン予想を取り上げたテレビ番組を取り上げたブログ記事を取り上げる(笑)

「練馬から日本の教育を変える」
個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。
今日も目標を宣言して、しっかり働きましょう。

さて、本日のお題です。
昨日、生徒の一人が積分は感動する、作った人は天才だ、と言うので、数学談義に花が咲きました。積分を作ったのは、とりあえずライプニッツとニュートン、という事で良いでしょう。

「え、ニュートンってあのニュートンですか?別人?」

いや、あのニュートンですね。万有引力のニュートンです。

「えー!じゃニュートンがいなかったら積分もないし重力とか物理学も何にも無かったんですか?ニュートンっていちばん凄い数学者ですか?」

うーん、ニュートンがいなくても誰かが考案したんじゃないかな…現に微分と積分は、ニュートンと同時にライプニッツも考案しているわけで。
それに、一番すごい数学者を決めるのは難しいね。評価が単純ではないから…でも、僕はオイラー師を推しますが。

「オイラー?誰ですか?」

うーん、話すと長い。たぶん、リーマン予想に繋がる研究に端緒を付けた人。

「リーマン予想?」

うーん。リーマン予想も話すと長いねぇ……非常に重要な問題だと、思いますが……

リーマン予想は一年くらい前?に、NHKが特集を組んで、有名になったようですね。私も詳しく知らなかったので、その番組に触発されたらしい何人かの人の話と、その他ネットの情報に頼って知っている程度ですが、なかなか興味深いテーマです。
そんなわけで私はリーマン予想についてもしゃべりたい事が多くてうずうずしているのですが…今日のテーマはリーマン予想そのものではなく、それを取り上げたNHKの番組と、その番組についての批評です。昨日生徒と話すに際して、知識を確かめようと思って情報源に当たっていたら、例のNHKの特集番組を、痛烈に批判している人を見つけたのです。

批判内容の妥当性は、私にはハッキリとは判断できません。ただ、執筆者は私などよりは、ずっと当該問題に詳しい方のようです。批判の詳しい内容については、そもそも元の番組を見ていない方もいらっしゃるでしょうし、割愛します。興味のある方は「リーマン予想 ガッカリ」でGoogle検索してみてください。

さて、批判者の方が妥当な批判をしているのかは、私には判断しきれないのですが、批判者の方がそれなりの知識を踏まえて語っているらしいことと、番組に何らかのマズい点があったのだろうということは、まず間違いないと思っています。

ここからが今日の記事の要点ですが、テレビの特集番組は、かなりハッキリした間違いが多いです。私も昔はテレビや本になっていると、何となく正しいんだろうと思っていたのですが、大人になってから見てみると、私の浅学でも、見る番組毎に無理な語源解説やコンセンサスのできていない内容の断定、論理的な矛盾や話の流れの断絶などなど、ツッコミどころのない番組を見る方が珍しいようなものです。
まあ、テレビ番組を作る人たちは個々の問題の専門家ではなく、日々忙しく働いている、どちらかといえば映像の専門家です。彼らに専門的な内容を完全に理解して番組を作れと言う方が無理というものでしょう。テレビ番組に期待できるレベルはその程度で、もっと詳しく知りたい人は、専門家が書いた本を読むべきという事なのでしょう。彼らの専門である映像に関していえば、NHKスペシャルなどは、実に貴重な面白い映像を持って来ます。

だから、テレビが全くダメだというわけではないですし、興味を掻き立てるという点では大変優れた物を持っていることが多いのですが、私は中高生諸君に「テレビで聞いた話はくれぐれも鵜呑みにするな」と言っておきたいですね。話の詳細については「相当デタラメ」です。

NHKの教養番組には、小中高とずいぶんお世話になりましたから、今さら批判的なことを言うのは忘恩というものですが…(笑)
なるべく情報の裏を取るなどして、うまく付き合うと、良いと思います。
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2011年06月01日

英語力、大事です

今もやっているか分かりませんが、長く山手線などの車内液晶モニタで流されていたCMで、「英語力よりPC力」というキャッチコピーの広告がありました。書類作成や表計算など、仕事で使う代表的なソフトウェアの技能検定の広告で、映像では外資系らしい企業に就職した女の子が、何やらため息をついています。英語力を活かして仕事をしたいと思っていたら、日本人の上司からパソコン作業ばっかり言いつけられて、落胆していたある日。青い目の上司に声をかけられたので、自慢の英語で「英語を活かした仕事を…」と言いかけたら、青い目の上司にまでパソコンソフトを使えるかと(しかもわざわざ片言の日本語で)聞かれてショックを受ける…という内容です。

この広告、私は割と好きです(笑)
女優さんの表情がコミカルで面白い事もありますが、自分磨きをしよう、と言ったときに、エステやシェイプアップか、または語学の勉強ばかりがもてはやされる現状を風刺するものとして、痛快ですね。TOEICなどの語学テストの点は分かりやすくその人の能力を示してくれますが、この広告が分かりやすく描いているとおり、語学は必ずしも必要とされる能力ではありませんし、他にもいくらでも大切な事はあります。
(それを言ったらパソコン技能だって、他にもいくらでも大切な事はありますが、パソコンは英語と違って、かなりの確率で必要とされますからね)

さて、そんなわけで英語を過大評価する事に対しては「嘘臭い」と感じてしまう私ですが、先日、「それでも英語は大事だな」と感じる一件がありました。生徒の一人が自習でレポートに必要な情報をネット検索していて、英語のサイトを読んでいるのを見かけたのです。
インターネットが普及して、私たちは海外の情報に、非常に容易にアクセスできるようになりました。昔なら都内の洋書専門店か大学図書館の書庫まで行かないと手に入らなかった様な情報が、英語を読めさえすれば、自宅で手に入ります。しかし、英語が読めないと、この情報ソースは利用できません。そこで情報収集能力に、大きな差がついてしまう。私が趣味に掲げているチェスなども(最近はちっとも勉強していませんが…そろそろ趣味の欄から削除しようかしら)英語の情報なら山ほどありますが、日本語の情報は本当に限られています。近頃は基本的な情報源としての地位を完全に確立したように見えるWikipediaも、日本語版と英語版では英語版のほうが圧倒的に情報量が豊富です。

情報量だけで何かの勝負が決まるわけでもありませんが、やはりある程度以上の差はつきます。とりあえず、英語はできるに越した事はないですね。
posted by FORWARD-ac at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき