2011年07月15日

国語の役割

「練馬から教育で日本を変える!」
練馬区石神井公園の個別指導塾、FORWARD塾長、松尾直樹です。

先日、生徒の国語の勉強を見ていて、改めて思ったことがあります。国語というのは、ずいぶん多くのことを負わされている学科だ、と。

脳科学の研究をしている大学院生の教師が、以前「国語は文学鑑賞を重んじている」と語っていました。これは誰もが知っている国語の主要な任務のひとつです。しかし、この教師は続けて「しかし、国語はもっと理数的な内容の文も扱うべきだ」と続けて述べます。「理数的な内容は理科や数学でやれば良いじゃないか」と思われる方もあるかもしれませんが、理科も数学も、知識や解法、実験などを教えることが中心で、教科書は一応読むとしても、「文を読む」ことには、あまり焦点を当てません。いくら内容が理数系であっても、こと「文意を読み取る」という課題になると、国語科教師の出番ではないか…と考えるのは妥当とも思えます。

また、以前ある国語の先生が、自戒を込めるように「これは恐らく我々国語科教員の怠慢なのだが…」と語るのを聞いたことがあります。彼は「国語はもっと論理というものをきちんと教えなければならない」と言っていました。
論理というと、数学が記号論理学を少しだけ教えて、センター試験にも定常的に出題されています。私は就職試験でこの記号論理学を教える立場にありましたが、記号論理学は興味深い強力なツールではあるものの、それを学んだからと言って、「論理的思考」が身につくかと言えば、そういうものではありません。記号論理学は、大学で私に記号論理学を教えてくださった恩師が著書に書いておいででしたが、論理という広大な領域のホンの一部、いちばんよく研究された一部分でしかない、との事です。では、そこからこぼれる「論理」はどこで学ぶか。国語は、論説文の読解などで、多少は論理を扱っています。ですから、国語という教科の中で学ぶのが適切ではないかと考えられます。しかし、記号論理学が「論理という広大な領域のホンの一部、いちばんよく研究された一部分」である反面、「それ以外の論理」は、ほとんど組織的な研究は行われていないと言っても過言ではないでしょう。その領域は、特定の名前すらついていません。

さらに、国語は人間の心と倫理の問題をも扱おうとしているように思われます。倫理については「倫理」という教科が独立に存在しますが、それは倫理というより宗教哲学史です。人間の心の複雑さを踏まえ、生々しい人の世の有様、繰り返される悲喜劇、その中で尚も正しいと信じられる事があるのかという問題、そうした事を抉り出す鋭さが「倫理」の教科書にあるとは、私には思えません。では、それらを成長期の青少年に示す役割は、何によって担われるのでしょうか。国語だと、私は思います。国語が扱う文学作品は、正にこうした事柄をテーマにしており、その鑑賞は国語の専管事項だからです。文学鑑賞は芸術の問題であると同時に、場合によっては、心理、思想、道徳の問題でもあるのです。

と、ここに挙げただけでも、文学鑑賞や言語的なトレーニングのみならず、科学に対する理解力、論理、心理や道徳といった、様々な事柄を要求されています。加えて、他教科の基礎として「国語力」も要求されています。

国語の授業にこれらを効果的に習得させる力があるなら、国語はもっと多くの時間を割かれても良い教科だと思うのですが……
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2011年04月16日

実務能力も大切です

FORWARD塾長、松尾直樹です。

余震がまだまだ続きますね…被災地域を中心に大きい余震が頻発し、現地の避難所にいたら辛いでしょう…原子力発電所の状況も、残念ながら当初言われていた通りの長期戦になりつつあるようです。

先日読んだ現代文の論説に、「道徳」の概念について書かれていたのですが、震災直後、という状況下では、非常な説得力があるように感じました。凡その趣旨は、以下のような調子です。今日は時間が無いので、だいぶ乱暴にまとめます。

道徳は心の問題のように思われがちだが、心が正しい人も、その心の正しさを行為に表さなければ、まだ道徳的とは言えない。『道徳的かもしれない人』『いざ他人と関われば道徳的に振る舞う予定の人』『道徳的である可能性のある人』に過ぎない。行為とは人間が自分以外の人・ものと関わる事で、自分以外の事物と関わるなら、そこに上手い・下手の別が生じる。つまり道徳には上手い下手があるし、上手く環境に働きかけられる事、技術的に優れている事は道徳的な事とつながっている……」すみません。本文が一番言いたかったことが必ずしも反映されていないかもしれません。(読み返しもしないでこの記事を書いているので……)恥ずかしいので原典は明示しません。

技術的な巧拙が道徳と呼ばれる……つまり、地震に強い家を建てられる建築会社は道徳的な建築会社で、地震に弱い家を建ててしまう建築会社は非道徳的な建築会社だ、という事になります。(本文中に似たような例が出てくる)この言い方、変な感じがしたでしょうね。一ヶ月ちょっと前なら。

今は、地震に強い家を建てられる建築会社は人の命を救うので、そんなに馬鹿げてもいないかなと思ってしまいます。

実際、現代社会は物質的な困難(たとえば狩りに失敗したからご飯が無いとか)に直面する事が少ないので、人の善悪は物質的問題から離れて論じられるという感覚が広まっています。狩りがちょっと下手でも、仕事がちょっと出来なくても、良い人というのは存在する。それが我々の常識になっているように思います。しかし、狩りに失敗すると子供が飢え死にするような時代には、狩りの能力は人間にとって欠くべからざる最低限の要求事項だったのではないでしょうか。

もっとも、その人自身が狩りが出来なくても、仲間が取って来た獲物を分けてくれる事もあったでしょうけれど。
有名なネアンデルタール洞窟の出土人骨は、確か足かなにかが悪くて自力では狩りに出られなかったと思われる人物が、落盤で死亡した後に仲間に花を手向けられた跡があったとか。
しかし、他方、「飯のタネになる」ことが「善」であるという感覚が昔はごく普通であった事を伝える要素も多くあります。
漢字の「美」という字は、もともと「羊」が「大」きい、つまり食べ手がある、という意味だったのだと読んだ事があります。腹一杯に食べられる事は、美しいのです。笑っちゃいますけど、これが野生の感覚なのではないでしょうか。

実務に長けて問題を解決する力があること。それもまた、大切なことです。
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2010年10月14日

経験の幅・語彙の幅

「癒し」という言葉が好まれるようになり、町中に氾濫するようになって、大分経ちます。
それを「癒しだなんて軽々しく言い過ぎだ」と眉間にしわを寄せる人もいます。僕もそんな1人でした。

が、もうここまで世の中で広く使われるようになっちゃったんだから、この言葉の定義は変わったんだと思った方が良いのでしょう。
ちょっと気分よくすることを「癒す」と言うのだ、と。
元来はもっと重々しい響きの言葉だと思うので、僕は頻繁に使いたいとは思いませんが。

ところで、そんなわけで「癒し」を他人が連発するのは
特に問題ないと考えることにしようと思っているのですが、「癒し」を軽々しく連発するなら、もっと重い経験は何と表現するのでしょうね。
凄く感動し、救われるような経験があったなら、それを表現する言葉も、自然と要請されるでしょう。
そういう言葉の必要がないとすれば、そういう経験をしていないという事になるのでしょう。

問題は、どういう言葉をどういう風に使うかではなく、どれだけの幅広い経験をしており、それを理解するための語彙を持っているかなんです。恐らくは。「癒し」を軽々しく連発したければ、すればいい。
でも、それなら一生に数回しか無いような感動には「癒し」とは別の言葉を宛てないと、ゴッチャになりますよね。
そういう言葉がないのは言葉の貧しさという事になるし、そういう経験をそもそもしていないのは、経験の貧しさです。

そんなわけで、何でも「これヤバい」で済ませる中学生には目くじらを立てつづけるつもりです。(笑)
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2010年05月17日

読み聞かせ・朗読は絶対必須です

FORWARD塾長、松尾直樹です。
最近国語や古典の教材を渉猟(しょうりょう)しているもので、
国語の話ばかり思いつきます。

古文の文章を、小学生〜中学生くらいに音読させると、
生徒ごとに、恐ろしいくらいに読み方の巧拙(こうせつ)があって、
もう本当に、ぎょっとするくらいです。
うまい子は小学生でも、実に淀(よど)みなく
滔々(とうとう)と読んでみせます。
拙(つたな)い子は、中学生でもほとんど自力では読めません。
つっかえつっかえ、内容どころではない。
淀みなく古文を読んでみせる子は、
当然ある程度は意味を把握できています。
(意味が分からないと、文章を何所で区切って良いか分からない)
音読できない子は、いくら読み直しても意味は分からないでしょう。
小学3,4年生が中学3年生より読解力があったりするのです。

目の当たり(まのあたり)にすると、つくづく実感しますが
この差というのは、実に恐ろしいものです。

「読めない子」が出来てしまう前に、朗読を必ず指導しましょう。
時には大人が読んで聞かせる事も必要です。
幼少時からの読み聞かせは、やはり大切です。

いちど幼少時から行うべき教育の内容をまとめた方が良いですね。
そのうち、ホームページコンテンツとしてアップします。
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2010年05月15日

子供に読ませると、良い話

FORWARD塾長、松尾直樹です。
先日「子供に読ませる本は、大人も楽しめるものであるべき」
と書きましたが、具体的な内容をあげてみようと思います。

各国の神話や、中国の故事、日本の昔話の類は、良いです。
ただし、絵本になっている場合は絵の巧拙も見て。
また、アンデルセンやイソップが書き改めたものはどうなんでしょう……
やや、子供騙し性が増すかな、という印象を持っています。

聖書やギリシャ・ローマ神話などは、文学や思想のベースになっているので
早いうちから親しんでいると、教養につながりますし、
現代文の思想・社会学系の文に強くなるという御利益があります。
中国の故事や日本の昔話は、古典の勉強に役立ちます。
(いわゆる「昔話」とか「民話」とか呼ばれるものには、
 宇治拾遺物語など、有名な説話集からの引用が多いです)

ところで最近知ったのですが、落語の「まんじゅうこわい」って
漢文に元ネタ(と言いますか、ほぼそのままの説話)があるんですね。
驚きました。
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2010年05月13日

知っているべき語彙について

「御意」って、どれくらいの人が読めて、意味が分かるのでしょうか。
「ぎょい」で、意味はいくつかありますが、
とりあえず私が話題に出したのは、相手に同意する言葉としてです。
君主に対して「御意のまま(お考えの通りです・仰る通りです)」と言うのを
省略して「御意!」と言うヤツですね。
おどけて今でも時々使う、といった認識を持っています。

マニアックな言葉と感じる方もいらっしゃるでしょう。
そんなの時代劇でよく聞くじゃないか、常識だろう、という方もあるでしょう。
実態は、その中間、あるいはどちらでもあり、どちらでもないんですね。
確かに時代劇などでよく出て来るから、別に難しい勉強をしている人でなくても
だれだって知っていてもおかしくない。
けれども、実態は読めない人も多い。子供の多くは読めない。
常識で有り得ると思われるし、常識であってほしいけれど、
それが共有されていないし、それは普通な事で、批判したって仕方ない。

問題は、自分が、あるいは自分の子供や教え子が、
こうしたちょっとした言葉をどれだけ知っているかです。
意識的に様々な言葉に触れて、自分でも積極的に様々な言葉を使っていれば、
自然と身に付くと思うのですが。

語彙力は大切だと言いますが、それは何も難しい言葉に限りません。
例えば時代劇に出て来る古めかしい言葉を、自分でも自然に使いこなせるか。
そういうところから、つながっていきます。
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2010年04月29日

読解力は、こんなところでも…

FORWARD塾長、松尾直樹。実は、iPhoneユーザであります。
まあ、いま街中で見ていると、iPhoneユーザはやたらいるので
「実は」と言うほどの希少価値も無くなりましたが…
その希少価値が無くなる前からのiPhoneユーザであり、
販売元のApple社がiPodで有名になる前からの、
Appleユーザであります。えへん。
(Apple社をそこまで評価しているわけでもないですけどね)

そのiPhone。
購入後に様々なソフトをインストールできるのがひとつの特徴です。
宣伝を見ていると、やたらゲームの出来る携帯……
と、思われてしまうかもしれませんが、
実用系のソフトウェアもいろいろあります。

そのソフトウェアのリストに、
しばらく前、変てこなソフトがぞろぞろ登場しました。
アイコンには青と白で、何やらパターンが描かれているのですが、
なんだかわからない。
でも、どこかで見たような色合い…そう。「ドラえもん」なんですね。
ドラえもん関係のソフトが何本もリリースされていたのです。
いくつかは簡単な機能の実用系ソフトウェアで、
残りはドラえもんの原作マンガを閲覧出来ます。全て無料です。
ダウンロードして正しく並べると、ドラえもんのイラストになります。
f:id:forward-ac:20100429111833j:image

パソコンの画面にアイコン(ソフトを表す小さい画像)を並べて
大きな絵を作る、という事は昔から行われていました。
でも、最近は見かけませんでしたね。
だからiPhoneの画面でそれが実現したのは非常に印象的でした。
こういう賢い工夫のあるものは好きです。

ちなみにこのソフト、内容はちょっとした実用系ソフトが幾つかと、
あとはドラえもんのマンガを読めるというものでした。
それで読んでみたんですが、これ、意外と難しいですね。
小学生くらいだと、読解力の教材に使えそうに思います。

まず使ってある語彙が(やや古い事もあり)難しい。
「かねがね」「あらかじめ」とか、
本を読む習慣の無い小学生は知らないものです。
また話の展開が、やや省略してあります。
白黒テレビが壊れて、ドラえもんとのび太が喜ぶシーンがあるんですね。
「なぜテレビが壊れたら喜ぶのですか。35字以内で説明しなさい」なんて
簡単めの学校の中学受験にありそうです。
答えは
「白黒テレビが壊れれば、カラーテレビを買ってもらえると思ったから。」
といったところでしょうか。
そもそも、昔のテレビは白黒だった事を知らない子だっているでしょうし。
戦争の話、環境問題の話、けっこういろいろな話題も出てきます。
古いマンガだと、こういう事もありますね。

いきなり小難しい天声人語なんか読ませても、吸収できない子はいます。
吸収できないものを無理強いしていると、だいたい不幸な結果に終わります。
言語力は一向に向上しないばかりか、
「勉強は分からなくてつまらない」という認識が刷り込まれてしまったり……
そうならないために、まずは大人との言葉の遣り取りの機会を
豊富に確保するのが、まずは第一だと思いますが、
他にも様々な方法はあるものです。
たとえばマンガだって、作品を選べば、言葉に触れる機会にはなります。
ただ大人が良いと思うものを無理強いするのではなく、
子供がきちんと吸収できるものを選んで与えるという配慮・工夫があると、
良いのではないか、と思う昨今であります。
posted by FORWARD-ac at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語

2010年04月09日

小学生向け国語教材

小学生向けの国語教材というのは、選び方になかなか苦労します。
特に読解問題。変な文章を使っているものが多いんですよね。
問題集のために、改めて書かれた文などは、素人っぽいもいいところで……

しかし、プロの著述家が書いた、小学生でも読める文となると、
ちょっと材料が限られてしまう。
適当な長さに切れる事が条件として加わると、
まして難しくなります。

その点、齋藤孝氏の教材は比較的良いですね。
確かに本物の、きちんと読むに耐える文を、
それも適当な長さでピックアップしてきてくれます。

と、書店で教材を見比べていて、思ったのでした。
春、新しいスタートの季節です。
posted by FORWARD-ac at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語

2010年03月09日

日本語文法も良くできています

皆さんは「文法」というと、どんなイメージを持たれるでしょうか。
「小難しいもの」「無味乾燥」まあ…そんなところかもしれましんね。
私は、非常に面白いと思うんですが…

文法は理屈っぽいので、確かにとっつきにくくはありますが、
それが面白く感じられるのは、普段何となく使っている言葉が
実は、かなり整ったルールに則っていると気づいた時かなと思います。
子供や外国人に質問されても「そういうもんなんだよ」としか説明できなかった事が
実はスパッと説明できる。その意外性に、心を打たれるわけです。
英文法や古典文法でもこの驚きを味わう事は出来ますが、
現代日本語文法は、特に普段無意識に使っているので、尚更ですね。

たとえば「日本語文法も良くできています」とは言えますが、
「日本語文法も良くできていです」とは言えないですよね。
「日本語文法も良くできているです」とやっても、うーん。ちょっとね。
「です」と「ます」の使い分けです。どうしたら良いのでしょう。

実は、「です」と「ます」の使い分けにも明確なルールがあります。
動詞と一部の助動詞の後が「ます」で、それ以外の文末は「です」を使うんです。
まぁ、いろいろ試してみてください。

ちなみに「一部の助動詞」に何が含まれるかも、わかりやすい基準があります。
助動詞の中には、動詞のような活用をするものと、
形容詞や形容動詞のように活用するものがあります。
前者が動詞の仲間で、「ます」を使うわけです。

という事に気付いて嬉しくなっちゃった、FORWARD塾長の日記でした。
相変わらずおかしな人ですね。チャンチャン。
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2009年12月24日

お手軽古文

最近古文の話ばかり書いています。
一応、ジュクチョーの得意は数学と現代文なんですが……

古文の世界は、かなり現代語訳されたり、マンガ化されたりしていますね。
源氏物語をマンガ化した『あさきゆめみし』は大人になってから読みました。
まぁ、マンガで読む事の是非は問題となるところですが、手軽に古典に触れられるというのも、それはそれで幸せな事だと思います。『あさきゆめみし』はバリバリの少女漫画タッチなので、ちょっと読み辛さもありますが……

その「あさきゆめみし」というタイトル。
これは「いろは歌」から採られています。が、「いろは歌」とは、ニュアンスががらりと変えてあるんですね。不勉強でお恥ずかしいですが、最近気付きました。

「いろは歌」に含まれる文言(もんごん)は「浅き夢見じ」です。最後の「じ」は「打消意思の助動詞・じ」で、「〜しないぞ!」という意味です。「軽薄な夢なんか見ませんよ」ってな解釈で良いですかね。

他方、「あさきゆめみし」を「浅き夢見し」と読むと、最後の「し」は「過去の助動詞・き の連体形」です。「はかない夢を見ました……」とでも、意訳しましょうか。

「夢」とは、夢と同様にはかなく頼りない現世を指しているわけですが、その現世を、「いろは歌」は厭世的(えんせいてき)に否定していますが「あさきゆめみし」だと、そこに何らかの余韻、趣(おもむき)を認めている。

……っと、熱く語りすぎました。
数学と現代文が専門のジュクチョーです。
え? クリスマスイブ? さあ、何の事ですかな。

「厭世的」……現世を嫌い、無価値なものと捉える傾向。
高校生諸君、語彙力を鍛えよう。
posted by FORWARD-ac at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語