2015年06月02日

常に自分を拡張し続ける

教育で練馬から世界を変える!
西武池袋線・石神井公園駅前の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

今日は、自戒を込めて、ちょっと感覚的な事を……

教育において「背中で示す」という事はとても大切な事です。学ぶ事を子供達に勧めるなら、自分自身が学ぶ姿勢を示すこと。これは当然の事です。
そもそも、それ以前に、自分の世界を拡げ続け、深め続けていないと、やはり教師として弛んでいる事が、大人として説得力が無い事が、人間としてつまらない事が、もう雰囲気から分かってしまうと思います。だから、自分の世界を拡げ続け、深め続けていかないと。もちろん、そのためには学び続ける事です。

忙しくても、余裕が無くても、学び続けなければ。
まぁ、忙しいという事は、ずっと何かをしているという事で、そこから何かを学び取れるのではないかと思いますが。

学び続けましょう。
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2015年02月09日

勉強する理由についての、ひとつの考え

練馬から教育で世界を変える!
西武池袋線・石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

勉強する理由について、というタイトルを掲げましたが、実は塾長をしていて、生徒から「どうして勉強するのか」という問いを突きつけられる事は(少なくとも私の期待と比べると)そんなに多くありません。それが私には不満であったりします。もう皆すっかり勉強する理由を手に入れて、勉強に精進していると言うのなら良いのですが、周囲がやれというから、やらないと自分の立場が悪くなるから、大学受験があるから、惰性でやっている、という子が多い気がします。もっと自分の時間の使い方に意識を向け、なぜそれを為すのかを問い、自分なりの答えを手に入れて、その答えをしっかり握りしめて力強く自らの選択として勉強に向かってほしい。
それで、私の方からときどき「オマエ、なんで勉強してるの?」と聞いたりします。

さてそれで、私の答えです。色々な答えがあって良いと思うので、これが正解という事ではありませんが。

勉強は自分の世界を拡げるためにやるものだと思います。自分の殻を破るためと言っても良いですが。
私は、人間の体は肉体労働をするために出来ていると思っています。机とかいうものについて、視線を手元に落として、頭だけ延々ひねっているという姿は、決して人体にとって心地よいものではない。簡単にいえば、どんな人間にとっても勉強はある程度、苦痛だという事です。しかし、人間は発達した脳を持っていて、そこで何かを合理的に理解する事には喜びを感じる。それも人間の本質で、だから平たく言うと、どんな人間にとっても勉強はある程度、喜びだと思います。つまり、相反する二つの面がある。
子供ははじめ、こんな苦痛に長くは耐えられないと思ったりします。苦痛が甚だしいと「なんでこんな事しなきゃいけないんだろう?」と感じるかも知れません。「こんな知識なくても、僕は困らない」と。しかし、勉強していくと、彼が特に支障なく生きている世界の外側に、もっと広い世界があり、それを展望する瞬間がある。「あ、これはすごい」と感じたら、それが勉強する事の喜びであり、そのとき彼の世界は広がっている。そうこうするうちに、長い間机に座っている事も出来るようになるでしょう。「無理だと思っていたけれど、やれば出来るな」これもひとつの世界の広がり、殻を破るということ、だと思います。
勉強を通じて、子供達は自分の知性・精神の世界を拡げると同時に、自分の人間としての能力の限界を突破する(というか、自分の限界はこんなものではなかった、まだまだ余裕がある、ということを知る)ものだと思います。大いに学ぶべきです。

もちろん自分の限界を突破することも素晴らしい人生の財産なのですが、私個人としては、自分の限界などサッサと忘れて、知らない世界を垣間みることの喜びを、より子供達に感じてもらいたいと思います。数学を学んだ者は論理というものが如何に緻密で壮大か知り、物理化学を学ぶ者は存在し影響を及ぼし合うことの背景を看破し、生物地学を学ぶ者は地球上に生きる我々の命が如何に壮大で儚いものかに気づき、地理歴史を学ぶ者は今日の社会をより深層から分析し、文学を学ぶ者は人間と世界のあり方を日々見直す。語学を学ぶ者は、より多くの情報を糧としながら自分の属する文化や言語を相対化し、自分の物の見方の偏りを正す。皆、より広く深い世界を心の中に描いて生きることが出来ます。残念ながら、ぱっと見の外見では、同じ町の同じ店で、同じようにご飯を食べている、ただの人にしか見えませんけれども。

子供達には、話が面白い、人間性の深みが感じられるような人になってほしいですね。
教える側も大変ですが(苦笑)
posted by FORWARD-ac at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 「学び」について

2012年05月24日

「勉強するという文化」と価値観

ここしばらく「勉強するという文化」という言葉について書いて来ましたが、今回は「勉強するという文化」が持つ価値観について述べてみたく思います。

文化と名のつくものは、本来価値観と切り離す事はできないものです。例えば箸を使って食事をする文化は、箸を美しく使うことを要求し、刺し箸や握り箸は正しくない箸の使用法であるとして戒める、そこに良し悪しを決める、価値観がセットになって付随しています。では、日常の一部として勉強をするという文化には、どの様な価値観が付随しているのでしょうか。

端的にいえば、勉強するという文化には、どんな事でも知っているのは良い事であり、どんな事も理解しているのが望ましいという価値観が付随しています。もしかすると、知る事で世界が良くなる、より良く世界にアプローチできるという信念もあるかもしれません。
例えばこの記事を書く数日前に金環日食がありましたが、それを「興味がない」と言ってしまうのは勉強する文化を体現する者の言葉ではありません。日食が起きると聞きつけて、当日に空を見上げて「おー欠けた欠けた、すごいな!」というのも態度として浅い。知る事を重んじる者としては、いかなる天体の配置によって日食が起きるのか、なぜ同じ日食が時によって部分食であったり皆既日食であったり金環食であったりするのか、その時、目の前で、どういう規模の現象が起きているのか、いかなる力学に支えられてそれは起きるのか、そうした事を把握し、目の前の現象を理解し、感動を見出す姿勢こそが、勉強する姿勢、勉強するという文化と呼ぶに相応しいと私は考えます。あるいは、その日食という現象が人類史上において如何なる捉え方をされて来たか知り、その人々のありように思いを馳せ、それにまつわる神話や文学作品の描写なども重ねつつ見てこそ、日食という現象に万感の思いを抱ける。その感動を愛する事こそが勉強するという文化に付随する価値観である…と、そんな風にいえば、そう外れてはいないかなと思います。

もっとも、ここまで来ると、実は私自身はそこまで勉強することだけを至上の文化とは信じていなかったりもするのですが…(苦笑)

私は勉強は本当にどんな事でも楽しいと思っていますが、勉強で知識を増やすだけで世界を良くできると考えるのはナイーブすぎると思います。世界・社会の一員としての貢献をするには、頭の中を鍛えるだけではなく、行動を起こし、変化を、とくに他人の中に変化を起こさねばなりません。他人を動かすという点について、書物の知識はさほど頼りになりません。自省と行動力の方が、よほど人を惹きつけるでしょう。
ただ、そんな風に考えるのは一定程度まで勉強を積んで、勉強の限界を感じてからでも十分だと思います。そもそも我々人類が科学技術によって環境に強力に働きかける力を得たのは、自然の法則性を知ることによってでした。そして現代科学の探求成果はいずれも、この世界が我々の予想をはるかに超えるほど巨大かつ精細である事を教えています。知は確かに、ある面において、強力無比な力であり、至上の美学です。小中高校生には、まずもっとものを知ってもらいたいですね。

私は今回の日食で、もっと地学や物理学を勉強したいと思いました。どうも宇宙は私が思っていたよりも、ずっと複雑なものらしいと考えるようになったからです。それを理解するには、恐らく物理が必要です。
が、ちょっと時間の余裕がないでしょうか…(苦笑)
posted by FORWARD-ac at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 「学び」について

2012年04月24日

続・「勉強するという文化」とは?

教育で練馬から世界を変える!
練馬区は石神井の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

前回の記事で「勉強する文化」という表現について書きましたが、続けてもう少し、この「文化」という言葉の含みについて、私の考えを書いてみようと思います。

前回は日本の文化の一つ、箸を用いた食事を例にとって、勉強を文化と見做すとは、どういう事か、書きました。
さて、ところで箸を用いて食事をする事を、箸を用いていない人たちに強制することはできるでしょうか。出来ませんし、それは間違っています。世界には様々な食事の文化があり、それらの文化は箸を用いる文化と、優劣を論じることは出来ません。ですから、異なる文化を持つ人に、自分の文化を無理強いすることは出来ません。
同じように、私が「勉強は文化だ」と言った時、それは「誰にでも勉強を強要できるわけではない」という覚悟を伴っています。人によっては、例えばスポーツや芸術の鍛錬を重んじる人もいます。そうした様々な選択肢の中から、特に勉強を重んじる事を勧めたいのであれば、勧める側の正しい努力が必要になります。私は、私たち大人が何の努力もせずに、子供達が文化として、生活態度としての勉強を身につけてくれるとは、期待していません。「勉強した方がいいに決まっているのに、どうして勉強しないんだろう」ではなく、この文化を継承してくれるように、伝える側は工夫をしなければならないのです。

世の中には様々な文化があるため、自分の文化を相手に身につけさせることは、必ずしも当然のことではありません。これは、たとえ相手が自分を慕っている教え子であったり、あるいは自分の実の子供であってさえも、同様だと思います。箸のように、他の選択肢が乏しく、生活していれば身の回りに常に箸があるというほど日本の環境に定着した文化であれば、日本で共に生活していると、最低限のラインは自然と伝わるでしょう。しかし、例えば服飾文化は世代間で容易に食い違いが生じます。同じように、勉強に対する認識も、大人が期待する態度を子供が身につけると期待するのは、まったく甘い考えです。子供たちが、他の選択肢と比べても、自分はこの文化に愛着があり、やっぱり自分はこの道で生きていきたいと考えるように、勧めたい文化を魅力あるものとして提示する必要があります。あるいは、空気のように当たり前のものとして、好ましい生活の一部として提示せねばなりません。

このように、勉強を文化と見做すという事は、子供に勉強して当たり前だという姿勢で臨むことはできないと考え、必死に工夫しなければ子供に勉強させることはできないと覚悟を決める事なのです。「勉強するという文化を身につける」というのは、美しい理想であるのみならず、現実を受け入れての覚悟表明でもあるのです。

生徒がいない時、しばしば、自分は何のために勉強するのであり、そこにいかなる価値があるのかと考えます。そして、果たして自分のたたずまいは、また自分の周囲の場は、果たして子供たちを引き付ける魅力があるか、空気のようにさりげなく喜ばしいものかどうか、考えます。

……そんなコト考えるから、街中で滅多な事はできないんですね(苦笑)
教師という仕事はどこかで聖人君子たる事を求められてしまうところがあり、どうしても若干の背伸びをしないと務まりません。胃が痛くなるワケです(苦笑)
posted by FORWARD-ac at 14:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 「学び」について

2012年04月10日

「勉強するという文化」とは?

練馬から教育で世界を変える!
石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

3月後半にblogやメールマガジンの記事を書けと言われていたのですが……ついに4月も半ばにさしかかっております……スタッフ諸兄、お読み下さっている皆様、申し訳ございません……

さて、年度始めだし塾の紹介でも書け、と言われたのですが、塾の紹介は(ずいぶん前に書いたものですが……)ホームページに載せていますし、以前から御子弟をお預かりしておりますご家庭には、今更でもあると思います。何か違う事を……というわけで、「勉強する文化とは?」というお題を考えました。

FORWARDのホームページには「勉強するという文化を身につける」という標語を掲げています。一般的には、勉強する事と「文化」という言葉は、あまり結びつかないでしょう。しかし、この「文化」という言葉には様々な蘊蓄があり、私は勉強を、子供たちが「文化」として身に付けてくれる事を願っています。分かりやすいように、日本の文化……たとえば箸に喩えて、語ってみたく思います。
まず、文化というのは生活の一部であり、日常です。私たちは毎日のように箸を使って食事をしており、それが当たり前のようになっています。同じように、私は子供たちには、勉強を生活の一部、当たり前の事にしてほしいと考えています。
次に、文化というものは、それを身に付けた人が、自らの生活を通じて後進に伝えるものです。箸の使い方は本を見て勉強するものではなく、生活を共にする家族から、食事の場で伝えられるものです。勉強は本を読んで学びますが、学び方の姿勢は、本には書いていないし、本に書いても伝わり難いと思います。我々大人が率先垂範、といきたいものです。私自身の課題としては、自分が勉強して「どうだこんなに勉強していてすごいだろう!」と自慢しても仕方が無く、面白そうだな、自分も真似しようかなと思ってもらえるような勉強の見せ方をすることですね。箸に喩えれば、綺麗に食べる姿を示して、自然と「ああなれたら良いな」と思ってもらえるようになる事、です。
文化は強いるものではない、という点も重要です。既に私の目標として述べましたが、「綺麗だな、カッコいいな、素敵だな」と思って、後進が自ら先輩を見習い、自然とその文化を身につけようと努力する。それが文化の伝習の本来の姿でしょう。

他にも「文化」という言葉の持つ意味は様々なのですが、今回はこのへんで。もう少し書こうと思うと、また更新が先になりますので……(汗
posted by FORWARD-ac at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 「学び」について