2015年04月10日

家庭の教育力・具体的な家庭学習内容

教育で練馬から世界を変える!
西武池袋線・石神井公園駅前の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

今日は「家庭の教育力」というタイトルを付けてみました。文部科学省が向上を図るべきと声高に叫んでいるものです。皆様のご家庭は、教育力に優れた家庭でしょうか……などと言われると、ドキッとしてしまいますね(笑)「教育力」といっても、何を指すのか曖昧です。本日は、この事を具体的にイメージする役に立つのではないかと思い、記事を書かせていただきます。

なぜこの話題で記事を書こうと思ったかと申しますと、FORWARDに通っている、ある生徒について、非常に「教育力」の高い家庭に育ったんだなと感心したことが切っ掛けです。だいぶ昔の話を蒸し返す感じですが……当時彼女は小学二年生だったようです。
私が直接指導に当たったわけではありませんが、彼女を担当していた教師の話では、この生徒は小二の時点で、地図上の方角に東西南北を正しく対応させられたそうです。
「何を当たり前の事を」と思われるかもしれませんが、小学生くらいでは、東西南北は意外と把握していないものです。私自身の事を振り返ると、おぼろげな記憶では、中学受験のために塾に通い始めた小四末の時点で、社会の授業に臨むに当たって「う、自信が無いぞ」と慌てて確認した記憶があります。(幸い、家に世界中の風物を豊富なカラー写真とともに書いた旅行案内のような本がセットにして置いてあったので、何となく世界地図の形も把握しており、私の中で地図と方位は、さほど苦労せず対応づけられました)小学二年生が東西南北を把握していたというのは、驚嘆に値する事です。

さて、彼女はこの東西南北をどこで知ったのか。「お母さんが、漢字の『北』を勉強した時に『北の右側はカタカナのヒに似ているから、そっちがヒガシ』と教えてくれた」とのこと。(この話では、地図の上が北で下が南である事は既に常識、という扱いになっていますね)

これは一つの例に過ぎませんが、これが「家庭の教育力」というものの、ごく具体的な事例になっていると思います。教育力に優れた家庭というのは、つまり家で何かの機会に子供に常識と言うべき事柄を教えています。家庭学習と言うほど大仰な事ではなくても、何かの拍子に情報を伝えています。例えば、東西南北といった事を。

私の経験した事例では、過去、高校生で東西南北が分からなかったり、植物は生き物なのかと質問したり、小学生で時計の絵を描かせたら文字盤に13時まで書いた、といった事例がありました。イギリスが島国である事を認識している中学生は少数派ではないかと思います。こうした事はさほど珍しい事ではないのです。従って、我々はそのような生徒と出会っても、特に顔色は変えずに、その子に合ったレベルの指導をします。が、当然の事ながら、常識に乏しい状態から、有名な大学に合格する道のりは長く険しいものになりますし、それを埋め合わせるための教育関係の出費は嵩んでいきます

ぜひ、お家で子供達にいろいろな事を教えてあげて下さい。親子の会話も大いに越した事は無いですし、コミュニケーションが円滑なら、良い事ずくめです。
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2011年06月11日

家庭で上げる国語力

「練馬から日本の教育を変えていく」
個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。
今度から記事を書く時は目標を宣言することにしました(笑)

だいぶ夏らしくなってきました。生徒たちが暑い暑いと言いながらやってきます。石神井公園は、アジサイも綺麗なのかな?

さて、本日のお題は「家庭で上げる国語力」です。自学自習で成績を上げようとすると、教材を読んで理解するための「国語力」が必要になります。国語力が無いと、学力はなかなか伸びません。そして、困った事に国語力が無いと、国語力自体もなかなか伸ばせないのです。どんな勉強も言葉で書かれた情報を吸収する事で行いますが、国語力が無いと、情報を吸収できず、よって国語力を伸ばす勉強も進みません。卵が無いとニワトリが生まれないので、卵も手に入らない……ようなものです。こういう場合は、ニワトリをどこかから手に入れてこないといけませんね。

国語力については、最初の段階から自学自習で上げることはできません。そこで塾などが登場するのですが……正直なところ、塾としても国語力から面倒をみるのは、かなり辛いのです(苦笑)国語は手間ヒマかけないと伸びません。

そこで、「家庭で上げる国語力」というテーマの登場です。ポイントは、「本や教材に頼るのは禁物」「質の高い言葉のシャワーをあびせる」「触れやすい形で言葉を与える」「出力させる」です。

よく、国語力を上げるためには「本をたくさん読もう」と言われますが、私はこの考えに懐疑的です。たしかに本をたくさん読んだら、自然と国語力はある程度、上がります。しかし、国語力が特に問題になるような生徒は、その年齢にふさわしい内容の本を理解することが出来ず、当然楽しめません。本が嫌いなのに無理強いしたところで、国語力が上がるほどの冊数は稼げません。読んだ本も、頭に入らないでしょう。「国語力のある子は本を読んでいる」は正しいかも知れませんが、「本を読ませたら国語力が上がる」は、色々な事情があり、必ずしも上手くいかないように思うのです。
また、国語の成績を上げるために国語の問題集を買ってきて解かせる考え方もありますが、やや怪しいものがあります。文が読めない子に、いきなり読解問題を解けと言って、トンチンカンな答えを書かせて、そうじゃないでしょ、と言って聞かせて……それで本当に成績は上がるのでしょうか。まったくトンチンカンな答えを書くようなら、その問題について考えている時間は、恐らく時間の無駄です。その問題について、何をどのように考えていいかわからず、あさってな事をしていると考えた方が良いでしょう。

本や教材をうまく消化できるのは、ある程度以上の国語力を身に付けた生徒だけです。では、そのレベルに達していない子はどうしたら良いのでしょう。ポイントは「質の高い言葉のシャワーをあびせる」「触れやすい形で言葉を与える」です。
そもそも、子供は生まれた時から本を読めるわけではなく、ある歳まで読書ではない形で国語力の強化がなされているはずです。私の今のところの考えでは、言語的なトレーニングはまず、家庭内での会話と、絵本などの読み聞かせによってなされると考えています。
皆さんのご家庭では、幼い頃の本の読み聞かせはしていたでしょうか。私は毎晩のように、何かしらのお話を、母にせがんで読んでもらっていたのを覚えています。(なお、本当に早熟な子は、物心ついた頃には既に1人で本を読むようになっているので、読み聞かせをしてもらった記憶は無いらしいです……オソロシイ)私は幼い頃に香港で数年間生活しており、その間は日本語の本も手に入りにくかっただろうと思うのですが、日本で買った本を持ち込んでいたのだと思います。大人というのは毎日疲れる事の連続なわけで、それでよく毎晩、エネルギーのカタマリのような子供を相手に本の読み聞かせなど出来たものだ……と感心してしまいますが、ともかくそんな事をしてもらっていました。質の高さにも配慮して、できれば内容も吟味して、詩的な言葉が綴られていて、絵も味わいのある、大人にも面白いと思えるような(もちろん子供にも分かりやすい)絵本を探せると良いですね。
また、絵本の読み聞かせの他にも、毎日の会話は子供にとって当然触れる言語的な刺激です。家庭内の会話によって、子供の国語力を鍛えることができるのではないかと私は考えています。
「家庭内の会話なんて、どこの家でも誰でもやっているんだから、それで子供によっての差が生じる事はないんじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、一口に「家庭内の会話」といっても、その内容は千差万別で、いつも言葉のやり取りがあるにぎやかな家庭もあれば、家の中が静かな家庭もあります。また言葉の内容も、大人でも難しい長い入り組んだ話をよくする人(どこかの塾長のように…… 笑)もいれば、感覚的にポンポンと言葉を投げる人もいますよね。家庭内での会話が充分にあり、その内容があるていど論理性を持っているのが、国語力の強化には望ましいと私は考えています。いくら言葉が多くても、内容が単純では国語力は伸びませんし、あまり会話量が多すぎるのも、独りで考え込む時間が少なくなってしまい、これまた考えに深みが出ません。
絵本の読み聞かせや家庭内の会話を通じて、触れやすい形で、質の高い言葉のシャワーを浴びせる事が、国語力を伸ばすことにつながります。

そうして国語力が伸びてきたら、最後の仕上げは出力です。言葉による出力方法として、会話での出力と筆記による出力が考えられますが、筆記の方が内容の見直しが容易で良いでしょう。つまり、作文を書かせます。日記のようなものでも良いでしょう。大切なのは持続的に書き続ける事なので、書かせつづける工夫と努力が必要です。これについては、また機会があったら書きましょう。

「え、あの、うちの子もう中学生で、絵本の読み聞かせとか家庭内での会話とか、そういう年齢じゃないんですけど……手遅れってことですか??」

うーん、そうですね。本当は幼い頃から取り組みを始めるべきなのだと思います。しかし、家庭内での会話の充実は、いつ取り組んでも悪くないと思います。そして、絵本の読み聞かせに代わる取り組みとして、教科書の朗読が考えられます。作文は、いつ書いても良いでしょう。私は大学生の書いた小論文の添削もこなしていた時期がありますが、同じ学生が何回か小論文を書いて寄越すと、ほんの数回でもかなり書き方は上手くなります。取り組みは早い方が良いと思いますが、遅くなってしまっても、だからダメ、お手上げという事にはならないと思います。

参考になれば、幸いです。
posted by FORWARD-ac at 13:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 塾要らずの勉強

2011年05月22日

塾に頼らないで成績を上げる

FORWARD塾長、松尾直樹です。

少し前に、通っている生徒の親御さんから「松尾は塾にも予備校にも通わずに大学受験も就職試験も合格しているようだが、どうすればそんなことが可能なのか教えて欲しい」とお問い合わせをいただきました。
こりゃぁ答るのが大変な質問だなぁ…と二の足を踏んでいたのですが、やはりそのことを少しづつでも語らないといけないと思い、少しずつでも書いてみようという気を起こしました。

塾や予備校に通わないで試験を突破するには、当然、独学せねばなりません。(私は公務員試験は対策の勉強を、独学すらほとんどしないで一発合格していますが、その話はまた改めて)そして、独学で失敗せずに勉強を進めるには、前提としていくつかのものが必要です。私がどうやって塾や予備校なしで勉強してきたのかというご質問ですから、私自身のことも織り交ぜて、書いてみます。

まず、絶対に必要なのが国語力です。優秀な教師に時間を割いて教えてもらうのでなければ、自分で知識を、主に教科書や参考書から吸収しないといけません。学校の授業を活かすという方法もありますが、学校の先生は塾の先生ほど説明が上手いとは限らないので、先生の説明を理解する、話し言葉を理解する国語力が必要です。私は(いま振り返って見れば、やはり高校生じみたところの目立つ代物なのですが……)当時から文が上手いと教師に注目される存在でした。語彙も豊富で、現代文の教師に授業で「ある生徒が作文にこんな難しい言葉を使っていた」と取り上げられた事もあります。また授業が下手だと悪評高い先生の授業も、「この先生は大事なことを最後に言う癖があるから、たとえ役に立たなさそうな話をしていても、油断せず一番大事なポイントがいつ出てきても困らないようメモを怠らない」といった具合に、癖をふまえて話の流れを読み取っていました。国語の成績がそんなにズバ抜けていたわけでもないのですが、高い水準ではあったのだと思います。

それから当然、勉強をせねばならないという基本的な信念が無ければ、一人で(従って、怠けても誰も叱責してくれないのに!)勉強をするはずがありません。多くの中高生が、よく「勉強しなきゃいけないのは分かっているんですが…」と言いますが、その「勉強しなきゃいけない」理由は何かと言えば、大方、つぎの試験の成績か、高校・大学受験で失敗しないため、といったところでしょう。しかし、私はそれでは不十分だと思います。私は、高校生になる頃から、勉強ができなければ自分の人生は無い、というように思っていましたから、いつでも勉強するとなれば人生かけて、命懸けでした。(これはナイーブすぎる考え方だったという面もあるのですが……塾で生徒たちを教える立場に立った今になってみると、確かに勉強が出来ないと仕事も務まらないような職業を選んでしまったので、「勉強できなければ人生も無い」は、正しかったといえば正しかったんですね……笑)

また計画能力、実行力、結果を確認する発想なども必要です。ビジネスでよく言われる、いわゆるPlan-Do-See(計画する・実行する・評価する)は、勉強でも必要です。生徒の中には「言われたことだけは確実にやるんですが……」なんていう子もいますが、他人に言われない事を自分で計画出来なければ、ひとりで勉強はできません。私自身は計画能力や実行力がさほど高いとは自分で思っていないのですが、自分の状態に対しては小まめに注意を払い、身につけるべき事が身についていないと感じたら、すぐでは無いにしても、自分で何がしかの対策はしていました。また大学時代の友人たちが、(全員東大生だから、学力にそう差があるとは思われないし、私は知識や読書量では、むしろ級友達に劣っていたのに)なんとなく私を持ち上げるので、なにが凄いと思うのかと問うたところ、「行動力がある」と言われてポカンとしたことがあります。まあ、こうして自分で物件を借りて机椅子を買い揃えて塾を開くくらいだから、やはり行動力はあったのか…そのへんは、よく分かりません。

他に、我慢強さや自信も必要ですね。少し考えて解らない事を、すぐに諦めずに、同じ参考書を読み直したり、別の参考書を調べたり、自分で考えてみたり、ノートをまとめてみたり…誰も丁寧に教えてはくれませんから、自力で問題に食い付く我慢強さも必要です。私も高校時代には、問題が解らなくてよくイライラしていましたが、イライラしつつ考え続けていたのをよく覚えています。我慢強くあるためには、ある種の自信も必要です。「考えればどんな問題でも理解できる」という自信があるから、かじりついて考え続けることができるわけです。自信の無い人ほど、すぐイライラしたり、落ち着きの無い振舞いをするものですよね。

他にも自分の状態(理解できたか否か等)に対する敏感さ、何が大事で何は大事で無いか見分ける判断力、自分なりに自分に合った勉強法を考える創意工夫なども、全く無いと厳しいかもしれません。またコミュニケーション能力も大切で、例えば塾に通わなくても、学校の先生との関係が良ければ、質問に行った際に「この生徒なら難しいことも理解してくれるだろう」と、授業では割愛した応用レベルの事柄も教えてくれるかもしれません。先生もきちんとした人なら、えこひいきはしないでしょうが、それでも「こいつは真面目に自分の話を聞く気が無い」と思っていれば、わざわざお互いの時間を消費して難しい勉強の話をしようとは思わないものです。先生にどう思われているかによって、学ぶチャンスも変わってくるのです。あるいは友達とのコミュニケーションが得意で、友達から勉強を教えてくれとせがまれるようになれば、素晴らしいですね。学校生活が楽しくなるし、自信もつくし、他人に教えることが自分の復習にもなります。私も高三の頃は、そんな風になっていました。

必要な事が出揃ったら、今度はどうすればそれが身につくのか、ですが…今日は、ここまでにさせてください。
ここに書いた事のすべてが身に付かないと自分で勉強できないというわけではありません。私もこう書いてしまうとスーパーマンだったかの様に思えてしまいますが、たとえば「勉強するとなれば人生かけて、命懸け」であっても、勉強をしない時間もあり、勉強せずダラダラ過ごしてしまって「自分の人生なんてオシマイだぁ〜」なんて、たかが勉強しなかったくらいで世を儚んでいたことだってあるわけです。(遠い昔の、高校生の頃の話です。なんて諦めの早い人生……笑)
ですから、別にスーパーマンである必要はありません。
しかし、たとえば国語が苦手で勉強する理由もあやふやな子が、いますぐ自学自習で成績を伸ばせるかというと、そう事は簡単ではないのかも知れません。
posted by FORWARD-ac at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 塾要らずの勉強