2013年05月05日

学問の神様・菅原道真の血統(1)古人

私の手元にある古典の問題集に、『十訓抄』という作品からの引用があります。「菅三位(かんさんみ)」と呼ばれる漢詩に長けた人物の没後、その邸宅だった場所で、菅三位を偲ぶ会が催されます。その会の最中に現れた、身分の低そうな老尼が、列席した貴族達の言っている事に誤りがあると言い出しますが……もともと大東文化大学の過去問で出題された様子。『十訓抄』は世俗的な教訓をまとめた説話集です。

さて、そこで思ったのですが、この「菅三位」とは何者でしょう。問題の解説には「従三位・菅原文時(すがわら の ふみとき)」とありますが、菅原と言えば、菅原道真(みちざね)の名が思い浮かびます。道真も漢学の学識でもって朝廷に仕えた人ですから、恐らく一族でしょう。そこで調べてみると、道真の孫とのこと。道真は晩年は反逆者の汚名を着せられて太宰府に流されており、死後しばらく経つと、逆に祟りをなす神として恐れられるようになった、なかなか問題のある血筋なのですが、孫の代には既に、貴族としての地位を回復しているんですね。

ついでに調べたところによると、「菅原」という姓が誕生したのは道真の曾祖父、菅原古人(ふるひと)の時だそうです。それまでは「土師」を名乗っていたのを、居住地にちなんで「菅原」と改姓。この人の時から漢学に優れた家柄だったようで、ウィキペディアには「文章博士・大学頭を歴任し、侍読を務めた」とあります。「大学頭」は「大学寮」の責任者で、「大学寮」は官僚育成機関ですから(社会構造が違うので比較は出来ませんが……)昔の東京大学みたいなもんでしょうか。「文章博士」は、いわば文学部・史学部教授か、あるいは学部長か……つまり古人は東大総長・文学部・史学部長といったところでしょうか。「侍読」はエラい人の家庭教師です。このへんの職務は、この後、菅原家が独占します。

なお、ウィキペディアによれば古人は「学問以外の事には無頓着」で、きっと家族にマトモな生活をさせられない人だったのでしょう。「朝廷からの援助を受けていた」とのこと。そんなダメ人間の父を見て育ったせいでしょうか。古人の子、菅原清公(きよきみ)はしっかりした人だったようで、道真につながる、菅原家の繁栄を築きます。

というわけで、少しずつ菅原家の家系について、書き綴ってみようかと思います。
posted by FORWARD-ac at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑学・教養
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