2012年09月22日

大学に進学する前に

練馬から教育で世界を変える!
石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。

先日、思想関連の術語をひとつ、どんなニュアンスだったかなぁとネット検索しておりましたら、たまたま早稲田大学で行われた講義の講義録らしきものを見つけました。ざっくばらんに語られていて、非常にわかりやすくて助かったのですが、そこに記されていた学生との質疑応答に、ふと意識が向きました。

「ある種の自己認識は近代に特有のものだと先生はおっしゃったが、夏目漱石の作品などを読むと、そのような自己認識は昔からあったものなのではないか」といった内容の質問でした。恐らくこの学生は、「近代」というものが分かっておらず、漠然と自分の感覚で「昔」と「昔じゃない(近代?現代?さいきん?)」を分けており、漱石は「昔」だったのでしょう。一橋大学の過去問に取られている文章の中で、ある歴史学の先生が「ある時期から学生の歴史離れが始まった。豊かな時代に生まれて過去を過去として振り返る必要性を感じず、『むかし』という言葉で過去を自分と切り離し、斬り捨ててしまう」と嘆いておいででしたが、奇しくもこの学生は「むかし」という言葉を使っています。そういえば、僕が論文を指導している生徒の一人も、「むかし」を使っていたなぁ……

しかし、日本の場合、明治以降(西洋思想が流入した時代)が近代で、漱石はその先駆けの一人としてイギリス留学もした、日本の近代を代表する知性です。天下の早稲田大学で思想の授業を受けるのに、ザックリとした時代区分も把握できていないと、せっかくの講義もあまり吸収できないでしょう。

「天下の早稲田」と書きましたが、早稲田だろうが慶応だろうが東大だろうが京大だろうが、いろいろな学生がいて、中にはこういう、真面目だけれど無知な学生というのは、特に大学一年時にはいるものです。ですから、天下の早稲田でこんな低レベルの質疑応答が!などと騒ぐ事ではありません。
が、それとは別の、この学生個人の問題としては、このように用意が不十分な状態で大学に通うのは残念な事です。大学の先生との知性の差が開きすぎていて、講義の面白さが感じられないでしょう。

思想に限らず、文学でも社会学でも経済学でも、数学でも物理学でも工学でも化学でも生命科学でも、大学で学ぶ前に、このくらいは勉強していないと話についていけない、というラインがあるものです。それはある程度は大学入試で確認されるわけですが、必ずしも十分に確認されるわけではありません。

私もまた、かつて不勉強なまま大学に進学してしまった人間の一人としての悔悟も込めた言葉ですが、こういう事例を見聞きすると、残念に思います。高校でもっと多くの幅広い知識と出会えていれば、世界が変わるとは言わないまでも、大学というものの在り様、学ぶという事の姿は、だいぶ変わるのではないかと思うのですが。
posted by FORWARD-ac at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑学・教養
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