2010年12月04日

『生命知としての場の理論』つまみ食い

FORWARD塾長、松尾直樹です。
季節柄、各大学の過去問に目を通しますが、現代文はやはり面白いですね。各大学、それなりに面白い文章を持ってきます。これだけの短さで内容が完結して、問題もついていて……この作問という仕事も、大変な労力です。

先日、生徒と一緒にみた問題は、清水博氏の『生命知としての場の理論』という本からの引用でした。



引用部分の趣旨は、大まかにいえば「こういう場合はこうしなさい、とマニュアル化できる知識は、想定外のことが起きると対応できない。でも世の中のほとんどの状況では、何が起きるか事前に想定することはできない。そんな想定外だらけの世の中でも、生き物はちゃんとやっていく。マニュアル化できる知識は『機械的知』と呼ぼう。想定外にも対応できる知は『生物的知』と呼びましょう。やっぱり生物的知の方が大事だよね。で、生物的知には更に2種類があって……云々」といったところでしょうか。
似たような議論を他に読んだ事があるので、各別新しいわけでもないですが、昔こんな話を見聞きした時とは、私の方に変化があったので、ちょっと考えさせられました。「こういう問題が出たら、答えはこれだよ」と教えるのは、正に機械的な知で、そういうものを大量に暗記させればテストの点は良くなるでしょうけれど、想定外の出来事が次々と襲いかかる人生を生きていく上では、あまり役に立ちそうにない。私が塾の生徒に、そういう知識ばかりを教え込んだら、それこそ詰め込み教育・受験産業との誹りを免れないでしょうし、そんな詰め込みでは、主体性の無い生徒は唯々諾々と従って成績を伸ばすかも知れないけれど、元気のいい生徒は却って勉強を退屈に感じ、ビシバシ暗記させようとすればするほど、ついて行けないと感じてしまうことでしょう。生徒に人生を切り拓く役に立つような知的トレーニングを与えようと思うなら、生物的知の方を伸ばしてやるべきでしょう。知というのは本来、そういうもの。生物にとって、生存可能性を高め、肉体的な喜びにつながるもので有り得るはずだと思うのです。

これは凄い、とドキドキするような知を見せたいですね。
posted by FORWARD-ac at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評・文芸批評
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