2010年11月20日

いきものがかり「花は桜 君は美し」

そんなわけで、「いきものがかり」の楽曲「花は桜 君は美し」に、発表から二年経った今さら出会い、ハマってしまったワタクシです。この曲、メロディーや歌詞は分かりやすいので今さら私がとやかく言うこともないのですが(力強い歌声を一部だけかすれさせるなど、歌の上手さ、歌詞とメロディーと歌唱との優れた照応には注目していただきたい!)学習塾の塾長ということで、ちょっとインテリぶって分析的に読み解いてみようかと思います。

「花は桜 君は美し」は三部構成になっており、歌詞内容は一度別れた恋人たちの物語らしく思われます。一番で相手から電話がかかってきて、相手の気持ちに思いを馳せる。二番は町を見ながら自分の気持ちを述べる。三番は一転して、「春もまたもう一度 この花を咲かせたいのでしょうか?」と、「春」を主語にして語り、恋人たちが仲を回復させたらしい展開で終わります。
季節である「春」を主語にするのが面白いですね。「春」は何かをしたいと思ったりはしないでしょうが、それを敢えて「花を咲かせたい」と思う主体として設定しています。意表を突いて印象深い表現だし、まるで季節全体、世界全体が二人の背中を押しているかのような印象を生み、希望のある暖かい世界観を形作っています。また歌詞の主語が「相手」「自分」「春」と移っていくわけですが、相手と自分という相対する主語の後に、両者を包む「春」を持ってくることで、互いに意識しながら距離をつめられない二人の状況が一気に打開される流れを自然に演出しています。相手がテーゼで、自分がアンチテーゼで、春がアウフヘーベンで、止揚して、という展開です。さらに、冒頭では「君の心に春が舞い込む」終わりでは「僕の心に春が舞い込む」と自他を配置し、美しい対照をなし、まるで春の便りが相手から自分に届いたかのような印象を作り上げています。

全編を春のイメージでまとめ上げているのも、曲のイメージをまとまりよく美しく整えています。自身を表現する「春を待つ蕾のように迷っています」「春を抱く霞のように揺らいでいます」という明喩は秀逸ですね。そこに雨のイメージを重ねていますが、雨のイメージは曲の進行と共に薄れ、それがグラデーションを形作っています。初めはグレーだった色調が薄れると共に、次第に隠されていた桜色が顕れてくるイメージです。(プロモーションビデオが、正にそんな作りになっていますが)冒頭で涙と結びついていた「強い雨」が、最後には「僕を待つ君の傘が あの駅に開いています」という表現で、むしろ二人の仲の回復を演出する小道具に変化するのも見事です。意味を180度ねじる詩のアクロバットです。
また、「君の傘が」と「開いています」の間に、他の言葉が挟まって少し空いているために、「開いてい」るのが「傘」であるという文脈が曖昧になり、「開いてい」るのは桜の花、あるいは「春を待つ蕾のように迷ってい」た「僕の心」なのではないかというイメージも膨らみます。

細かな語尾にも見るべきものがあります。「花は桜 君は美し」というフレーズからして、古語風の語尾を採用して清少納言の「枕草子」を意識させ面白いですが、さらに詩全体に「です・ます」調や「でしょうか」という疑問表現を盛り込んで、語りかけるような心に染み込む詩表現を生み出しています。

こうした繊細な詩の作りが、ドラムやエレキギターを多用するサウンドと好対照を成して奥行きを生み出し、ヴォーカルの力強い歌唱によって聞き手の心にドスンと響きます。

 花は桜 君は美し
 花は香り 君は麗し

思えばこの言葉自体が、あまりに直球。恋人関係でなくとも、こんな言葉を言えるほどに相手を評価できたら、幸福な経験であると言えますまいか。そもそも「美しい」この言葉自体が美しい言葉です。ゲーテの描いたファウスト博士も、「時よ止まれ、この瞬間は美しい」が最後の言葉、絶命の一句となっています。「美しい」という言葉には、少なくともゲーテにとっては、そこに命を賭けても良いような至上の価値がおかれていたのでしょう。ダンテの「神曲」もまた、ベアトリーチェと言う「美しい」女性に導かれる事で見神の域に達します。それを思い返すと、「花は桜 君は美し」という直球のフレーズには、見神の響きすら込められているように思われます。

いやー麗しい。
文学は良いですな。


2015/1/10 追記
最後のあたりは一人で感極まってしまった感じの文になっていてお恥ずかしいです。消してしまおうかと思いましたが、まぁ恥を受け止めるのも勉強のうちと思い直して、消す代わりに反省の弁を追記しました。
ただ、「美しい」という言葉自体が美しい、という指摘は当たり前のようですが、それでも含蓄があるように、今でも思います。問題は、その「美しい」をただ使うと陳腐きわまりない言葉になって、大上段の空振りになってしまう。そこを、この「花は桜、君は美し」は、古典の引用と文語的な表現で、高尚なムードを加える事でクリアしている。「見神の響き」があるかどうかはどもかく(苦笑)ポップソングの歌詞としては、技ありと言うべきではないかと思います。
また、ヴォーカルの力強さとのバランスもとれていると思います。いずれにせよ、佳作である、と思います。

ところで、清少納言の枕草子では、実は「花は桜」とは言っていません。「木の花は」の後は「濃きも薄きも紅梅」と続きます。清少納言は、良く言えば漢学を重んじる、悪く言えば中国かぶれの人なので、和風の桜ではなく中国でも珍重される梅や梨の花を称揚する。これは清少納言の個性・人物像と深く関わる部分なので、引用として成功しているのかどうかというと、ちょっと難しいところかなと思います。できればオリジナルの古典でも桜を称揚している文を引用すれば、引用元の世界観が、もっと引き立ったはずでは……とはいえポップミュージックとして成功するためには、超有名どころから引用しないと、聞き手の大多数に響かないし……このあたりは難しい駆け引きだと思います。
posted by FORWARD-ac at 14:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 書評・文芸批評
この記事へのコメント
こんな昔の記事にコメントして申し訳ありません。


僕も

花は桜君は美し



これの美しさに惚れ、いきものがかり好きになったんですが、このように分析されておられて感動しました。

こういう見方もあるのか!

そういう驚きと読めば納得の内容


ありがとうございます。
Posted by オズオズ at 2014年12月26日 00:37
>オズオズ様

コメント有難うございます! 勢いで書いてしまった文章で気恥ずかしいですが、こうしてコメント寄せていただければ、書いた甲斐があるというものです!
「いきものがかり」はこれに限らず、気持ちよくノれる良い曲を書いていますよね!
なお、今は20年前に発表された松任谷由実さんの「春よ、来い」にハマっています。タイムラグがだんだんと酷くなります(苦笑)
Posted by 松尾@管理人 at 2015年01月10日 11:45
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