2010年03月10日

常に、前向きに……

中高生時代に見た英語の物語文に、次のような文句がありました。
「Sometimes, the faith is difficult.(時に信仰は困難を伴う)」
キリスト教圏では、こうした言葉が突然お話の中に登場しても
そう不思議は無いのでしょうね。
特に信仰を持たない私は、この文句が強烈に頭に焼き付きました。
「欧米人はいつもこんな事つぶやいてんのか!?」
まあ個人差もあるでしょうし、いつもではないでしょうけれど(笑)

以来、ときどきこの言葉を思い出します。
「信仰」を「世界・世の中に対する前向きな態度」と読み替えると
別にキリスト者でなくとも、この言葉は味わえると思います。

キリスト教の教義についても私は大して知りませんが、
まあ、神様が世界を創ったから、基本的に世界は善きものであり
神様は今も人の行いを、常に愛をもって見守っている、
というのが基本的な世界観……なのではないでしょうか。
それが正しいなら、安心して心安らかに生きていられます。
しかし、時に厭世観に囚われる事もある。
そうすると、キリスト教の信仰を持っている人からすれば、
「神様が創った世界なんだから、世界は善きもののはずだ。
 嫌な事ばかりだなんて思ってはいけない。感謝を忘れずに!」
と、自分に喝を入れたり、あーでもやっぱり、とクヨクヨしたり
そういう心の迷いが「信仰の揺らぎ」という事になるのでしょう。
基本的に「信仰は揺らいではいけない」という発想なのでしょう。
信仰を持たない人間には、あまり無い発想です。

しかし、我々とて信仰を持っていないからといって
「あー世の中ヤダヤダ」と言ってばかりはいられません。
厭世観に囚われる事があるのは、
いつの時代、どこの国、いかなる文化でも同じ事だと思います。
だったら、そこから立ち直り、
前向きに生きていかねばならないのも、同じ事です。
神様を信じるか、世界を神様が創ったかどうか、とは関係ない。
しかし、その「前向きに生きる」というのが難しい。

「時に、前向きであり続ける事は難しい」
前向きにあらねば、と思いつつそれが苦しいとき、
「Sometimes, the faith is difficult.」
そんな言葉を、思い出したりします。

勉強も、仕事も、家事も、やらにゃならんのです!
辛い時があるのは分かるけれど、
やらなきゃダメだよ中高生諸君。
と、お説教でしめます(笑)
posted by FORWARD-ac at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき
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