2010年01月01日

教育は消費ではない

今日の子供たちの育っていく環境というものを考えると、非合理的だなと思ったり、可哀想だなと思うところが多々あります。そのひとつが、子供たちが生産から切り離されて20過ぎまで育つという事です。

何かを生み出し、それをケアする事、つまり、広い意味での「生産」こそが、生きる事の本質だと私は思います。仕事で財やサービスを生産し、個人として家庭を築き、市民として社会を構成して、それらが時代遅れになったり、人の変化についていけなくならないように常に注意を払い、修正し、さまざまな問題を解決していくのが人間が生きていくという事、そのものではないかと思います。

でも、子供の成長する環境からは、そういうものが見えにくい。親御さんがどんな苦労をし、どんな想いで家族を支え、仕事で苦労し、また生き甲斐や幸せを得てきたか、親子も離れた場所で過ごす時間が多く、伝わらない。学校という場も、同年代の子供同士の関わりが多く、勉強も抽象的なものが多く、実際の生産活動との繋がりが見えにくい。

むしろ、子供は同年代の子供同士の関係の中で、ファッションやら、テレビ・マンガ・ゲームといったメディアコンテンツを消費する事ばかり、教えられているのではありますまいか。
否、大人もまた生産活動は嫌々やっており、出来れば楽にお金を得て、消費の楽しみに耽りたいと思ってやしないでしょうか。社会学者がいう事を鵜呑みにすれば、これは現代の宿命でしょうか。消費が人間存在にとって圧倒的なウェイトを占めるようになったのは、19世紀後半に出現したデパートに象徴される、現代の特質だとか何とか。

あまり感心できる特質じゃないなぁ、と、素朴に思うわけです。

こうしたものに、如何に抗していけるか、という事は教育に携わりながら、つらつらと考えてきました。初めて教壇に立ったのが、就職対策・資格試験系だったことも関係しているかも知れませんが、いずれ殆どの人が働かねばならないのは明らかなのに、そうした事にあまりに意識の低いまま、大学まで来てしまう子の多い事。否、僕自身が、そういう教育の犠牲者であったかも知れません。

そして年末にはたと思い至ったのですが、塾を運営する私は、その流れに抗うどころか、うっかりすれば、その流れに流され兼ねないのですね。指導料を払って教育サービスを受ける権利を買い取り、それを消費する、のだとすれば、塾に通う事も消費生活の一端です。勉強が、分かり易い授業や、優れた参考書を漁るものだとすれば、まさに、その教育は消費の対象です。

それは違う!
(あ、ジュクチョー、叫んじゃったよ)
生徒諸君は第一に消費者であるのではなく、生産者であってくれ。
自分が何を生み出し得るか、生み出すためにどんな力が必要か、それを常に意識してほしい。生産のための力をつけるのが勉強で、単に教育サービスの提供者として教師を扱うのではなく、生産者として見て、見習うべきを見習ってくれ。あるいは、反面教師として活かしてくれても良い。

まず人の輪を作れるようになってほしいと思います。
仕事も、家庭も、社会も、人の輪が基盤ですからね。
そして情報を整理し、状況を理解し、問題を解決する能力を磨いてほしい。
そのために必要な知識を手際よく頭に叩き込み、問題を解決していく枠組みを構築できるようであってほしい。その第一歩として、勉強が役に立てば、最高だと思う。そして、自分も幸せになり、人も幸せにして下さい。それが出来なきゃ、生まれてきた甲斐がないじゃない。

僕なんて、自分のためと思うと、いくらでも手を抜いちゃいます。
食事とか。自分一人が食べれば良いと思うと、いい加減な食事で済ませちゃう。
でも、他人を喜ばせようと思うと、自然と頑張る。勉強もそんなところ無いかな。自分の将来のためって言ってもねぇ。別に、普通の大人で良いし、とか。(その「普通」が近頃あやしいけれどね)でも、それじゃ他人を喜ばせるのは難しいと思う。

と、そんな事を伝えられる教育をしたいですね。
テストの点も取らせますけれど。
そして、大人って楽しいよ、働くのって楽しいよと伝えたいですね。
これが、今年の抱負です。
posted by FORWARD-ac at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/40614055

この記事へのトラックバック