教育で練馬から世界を変える!
西武池袋線・石神井公園の個別指導塾FORWARD塾長、松尾直樹です。
本日は、久々の日曜会のお知らせです。
今回は松任谷由実の「春よ、来い」の歌詞を題材に、詩の技法について語ってみようと思います。そこから転じて、文章そのものの書き方、更に一般化して他者へ情緒的な内容を伝える技術、そして芸術が表現しようとするものの検討を通じ、自分の人生に於いて何に価値を認めるかといった話題にまで踏み込めれば、かなり深い話に出来るかなと考えています。
今回は、明確に文学寄りの内容ですので、特に本が好き、詩に興味がある、文が上手く書けるようになりたい、という中学生以上が対象です。
日は2015年3月15日、および3月22日。生徒の要望により、同内容で二回やります。
参加する方は、15:00-15:10にお集まり下さい。時間は、1時間〜1時間半を予定しています。
集団講義形式をとり、まだ実験段階の講座なので、無料で開放しています。また通塾者の御父兄を含め、内容のレベルの観点から楽しめるなら、大人の方にもご参加いただければと考えております。ご興味のある方は、お問い合わせフォームからご連絡下さい。
■日曜会の趣旨について
・勉強に対するより積極的な姿勢を身につける
なぜ勉強をするのかと問われて「大学に合格するため」「自分の将来のため」と答える子は多いのですが、実はそれは目標が低いと私は思っています。自分のためなら人間いくらでも手抜きをするものですし、大学合格のために勉強をしていると、そのために「必要そう」と自分が判断したギリギリの勉強だけで済ませようとし、けっきょくそれが不足で第一志望に失敗する、という事がままあるように思います。本当に勉強をする者は「己の知を少しでも高める」事に目標を置くものだと私は思います。目標が大学受験のように達成して終わる事ではなく、いくら高めても限界の無い目標であれば、自ずと努力の内容も無制限になるでしょう。そうなってこそ盤石の学力であり、人生を豊かにする教養につながるのではないでしょうか。
・知識の裾野を広げる
私は何を目標に勉強をするにせよ、教科書や問題集でする勉強だけでなく、そうした勉強の周りに広い知識(雑学と言っても良いでしょう)の裾野を拡げる事が、最終的に生徒の学力を堅固にすると考えています。教科書に載っている事だけを勉強するという姿勢では、たとえば英単語の訳を柔軟にできず英文の文意が把握できなかったり(その単語の語源を知っていたり、有名な文書でどのような意味に使われているか等を知っていれば、言外のニュアンスが分かって柔軟な訳ができるようになったりします)はたまた未知の問題を見た時に、知らないから解けない、で終わってしまったり(教科書の問題を解くだけでなく、その問題が何を意味するかまで考えていれば、未知の問題も深い分析ができる)そうした事が起きるものです。知識の幅が狭いと、教科書の知識すら浅い理解しかできないし、応用の発想が出て来ないのです。広い雑学の裾野があってこそ、知は高みに至る、と私は考えます。そうした知識は、人生の糧になります。
・単純に、楽しむ。勉強の面白さを知る
勉強だけに限りませんが、ある事に興味が持てない、つまらないのは、そもそも勉強がまだ浅いからだと私は思います。勉強に興味を持つなんて、そんな事は有り得ない!というような顔をする子供は(大人も)多いものですが、スポーツやゲームに興味を持つ事と勉強に興味を持つことの間に、そう違いがあるとは私は思っていません。ただ、スポーツやゲームは強制されて触れる場合が少なく、また能力を評価されて劣等生の烙印を押されることも少ないので、嫌いになりにくいだけのことで、スポーツもゲームも勉強も、分からなければつまらないし、知識が増えて「自分はこれが得意だ」という気分になれば、楽しい、興味がある、と思えるようになるものです。
何事でも、その事について詳しく知り、理解できる事が増えていくにつれ、面白みが強まる。ならば、勉強も、やるなら「嫌いだから簡単なことだけで済ます」のではなく、「まだ好きになれないから、もっと深く学ぶ」のが正しい対処です。子供達が学校の勉強にそこまでの積極的な姿勢を持てないことは理解できますが、そう言って勉強をなるべく浅く済ませようとしている限り、その子は勉強が嫌いなままです。面白い所まで、突き詰めましょう。
本来ならば、このような根本的な事こそは優先的に子供達に伝えていくべきですが、現実には個別指導の枠組みの中では、どの子も学習すべき事が詰まっており、目の前の課題をこなすので精一杯です。それに雑学は雑談のように語るのが相応しいもので、それなら個別指導の一対一の形式で話す必要はありません。むしろ、他の子の反応も見ながらの方が、良い刺激になるでしょう。そして「いかにも勉強」という雰囲気ではなく、ざっくばらんに勉強を楽しむ雰囲気が生まれれば、それが一番大切な事ではないかと思っています。